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インディアンの各種族、スー族、ナバホ族、ラコタ族には、古来より人を治す治療の
言葉が伝えられています。

今、これが病気を早く治すとして、アメリカの病院の臨床(りんしょう)で使われ始め
ているようです。

体の部分一つ一つに、臓器一つ一つに感謝をしていくので、声に出してみるといいです。

気功療法に来られている方にも、実際におこなってもらっていますが、心が落ち着くし、
涙がこみ上げてくると言っている方もおられます。

また、離れている家族や、精神的につらい状態の友達などへプレゼントされる方もおら
れます。

その書籍のタイトルは、『ホーミタクヤセン インディアンの癒しの言葉』です。

語り マリリン・ヤングバード
訳 福田たまみ  監修 野口法藏

全部で、三章からなりますが、この冊子では、「全身に感謝の祈り」です。

この書籍は、気功療法に来られていた女性で、“ガンが全身に転移し、ホスピス行きから
生還された方”のお勧めで購入いたしました。

夜、眠りながら、声に出してみるといいです。体調の悪い時でも、昼間でも読んでみて
ください。

あたりまえでない、自分の体の素晴らしさと、生命の尊(とうとさ)さに気づき、素直
に、そして元気になれます。

それでは、『全身の感謝の祈り』にはいります。

まず最初にゆっくりと 7回深呼吸をしてみましょう 

では1回目 深―く息を吸って そして吐いて

あなたは見守られています あなたは安全です あなたは素晴らしい そしてあなたは
 一人ぼっちではないことを知ってください

もう一度深―く息を吸って そして吐いて あなたは太陽です あなたは月であり そし
て星です

あなたは風で あなたは雨でそして火です あなたは地球です そしてあなたは地球の
子供です

あなたは地球という暖かいおばあちゃんの 小さな赤ん坊です おばあちゃんはあなた
のことを 心から愛しています

おばあちゃんはあなたのことを 何でも知っています  

あなたの声も 泣き声も 痛みも

あなたが歩んできた すべての道程を知っています さあもう一度息を吸って そして
吐いて

あなたは安全です そして生きとしいけるもの全てがあなたのことを愛しています 

そしてそれらはみんなあなたのために そこに存在している ということを知ってくだ
さい

あなたが望むものすべて手に入るのです 心配することは何もありません 罪悪感を
かんじたり 自分を責めたりする必要は まったくありません

それらの感情から 自分を自由にすることを 許してあげてください 恐れや不安から
解放してあげましょう

その恐れの感情を まっすぐにみてみましょう そしてあなたが 何をそんなに怖がっ
ているのか 観察してみましょう

そしてその恐れを ありのままに受けとめて 抱きしめてあげてください なぜなら
その恐れこそ あなた自身なのです あなたの中の恐れなのですから

休みなさい 休みなさい ゆっくりと休みなさい いま休むことを自分に許してくだ
さい 怖がる必要はまったくありません

あなたのおばあちゃんである地球が そして母なる地球がいつもあなたのそばにいます

あなたの呼吸の一息一息が おばあちゃんからの 贈り物だということを 忘れないで
ください

おばあちゃんは あなたの幸せを心から望んでいます 

おばあちゃんは あなたが神聖な人生を 歩むことを望んでいます

だからこそ今休みなさい あなたは安全であることを忘れないで あなたの祈りはすべて
現実となることを 心に留(と)めておいてください

さあ 自分の細胞ひとつひとつと そして自分の体に語りかけてあげてください

まず足からはじめてみましょう あなたのつまさきにありがとうと語りかけてみてくだ
さい

足にありがとうと いってあげてください あなたのことを長い間ずっと運び続けてく
れた その足に

あなたが行きたいと思ったところに いつも連れていってくれた その足に 足はずー
っと あなたの一番の友だちでした

いつでも 散歩に連れていってくれたでしょう 走ることも出来たし 怖くて逃げたく
なるような場所から あなたを遠ざけてもくれた その足に ありがとうと いって
あげましょう

そして足首にありがとうと 自分の足首のエネルギーを感じてみてください

自分自身の中にある愛を 感じてみてください あなたの内側に住む深い深い 愛情を
感じてあげてください

あなたを愛せるのは あなたしかいないのです そしてあなたを元気にしてくれるのも
あなたしかいないのです

さあ もう一度深―く息を吸って そして吐いて ふくらはぎにも ありがとうと 
いってあげてください

そして あなたの脚(あし)にも ありがとうと 体の中の細胞のひとつひとつに

そして脚の細胞のひとつひとつに あなたが それらに対して抱いている愛情を かん
じさせてあげてください

あなたを運んでくれるその脚に何年も何年もあなたのことを運び続けてくれたその脚に

座ることも 這(は)うことも可能にしてくれた その脚にそして踊ることも 走るこ
とも可能にしてくれた その脚にありがとうと いってあげてください

そして腿(もも)にありがとうと その部分の愛と暖かみを感じてみてください その
充実感を 感じてみてください 

次に腰にもありがとうと いってあげてください そして骨盤に膀胱に 大腸にありが
とうと いってあげてください

あなたのすべての女性器官 男性器官に そして小腸に ありがとうといってください

あなたの腎臓に ひ臓に 胃と肝臓にも ありがとうと いってあげてください それ
らすべてが あなたの命のもとなのです

あなたの肝臓や 胃や腸は あなたの命そのものですからあなたの体を浄化するために
一生懸命はたらき あなたを育てるために食物を送り そしてあなたに話しかけてく
れます

さあ もう一度深く息を吸い込んで そして吐いて そしてすべての悲しみを手放しま
しょう 怒りを手放しましょう

恐れを手放しましょう そして 自分に対する疑いの気持ちから 自由にしてあげまし
ょう



痛みや苦しみも 手放してあげてください そうすれば肝臓も腎臓も そんなに一生懸
命働かなくても よくなります

いままで あなたのために働いてくれた すべてのものにありがとうと いってあげて
ください

それらの働きのおかげで あなたの体は浄化され そして健康を維持することができた
のです

みんな あなたが何の指示を与えなくても 繰り返し 繰り返し 働きつづけてくれて
います

みんな そのままで正しく そのままで 健康であることを 忘れないでください

さあ いまゆっくりと 休んでください ゆっくりと

あなたの横隔膜に ありがとうと いってあげてくださいそして あなたの肺にも

さあもう一度深―く息をすって あなたの肺を おばあちゃんがくれた愛情で 一杯に
みたしてあげましょう

そして ゆっくりと吐いて あなたの心臓に意識をおいてそして心臓を満たしている
愛と 生命力を感じてみてください そして ありがとうと いってあげましょう

さあ 深く息を吸って そして吐いて 心臓は生命の火です 情熱と 慈悲(じひ)の
こころに満たされています

自分自身を 愛することができたとき 初めて愛が なんであるかを 知ることができ
ます

休むことなく 規則正しく働いてくれる あなたの心臓にありがとうと いってあげま
しょう 心臓は宇宙のドラムです

さあ息を吸って そしてゆっくりと吐いて もう一度吸って そしてゆっくりと吐いて

体の細胞の ひとつひとつを 無条件の愛で 一杯にしてあげてください

無条件の愛は 地球から 太陽から 月から 星から 風から 雨から そして火から
あなたの周りの たくさんのものから注がれています

あなたの脊髄(せきずい)にも ありがとうと いってあげてください 脊髄の中には
体の中で唯一完全に 純粋な水が流れています

脊髄のなかには 純粋な水が入っていることが 大切なのです だから ありがとうと
いってあげましょう

なぜなら あなたの脊髄は あなたをまっすぐにささえあなたを運び しっかりと力強く
立つ手助けをし そしてどんな恐怖にも 面と向かって立ちむかう 勇気を与えて
くれました

あなたの手に 今度ありがとう といってあげてくださいそして あなたの指にもあり
がとうと

手はいつでも あなたの親友でいてくれました あなたに食物を運び 髪を洗い 顔や
体を洗ってもくれました

そして 手のおかげで愛するものを抱き 愛するものに 抱かれることもできました 
そんな優しい手に ありがとうと いってあげましょう

あなたの腕にもありがとうと 腕がなければ 何かに手を届かせることも できなかった
でしょう

いつでも 腕を伸ばせばあなたの愛する人に 触れることもできたでしょう そして 
その人を抱きしめることもできたでしょう

そして あなたのかけがえのない 存在を育てる 手助けもしてくれるでしょう

あなたの肩にも ありがとうと あなたを 支えてくれたことに感謝しながら

あなたの顎(あご)に 舌に そして歯に ありがとうと いってあげましょう 
それから あなたの口にもありがとうと

生命の息吹をあたえられ あなたは毎日呼吸することができるのです そして 力強い
言葉を発することができるのも 口があるおかげです

そして あなたの祈りを声にだして 伝えられるのも 口のおかげでしょう だから
 その口にありがとうと いってあげましょう

あなたの耳にも ありがとうと いってあげてください音を聞き 風の声を聞き 雨の
声を聞き 火が語る音を聞き

あなたと つながっている すべての生きるものの声を聞き 創造や 誕生の瞬間を
聞き

母なる大地 地球の声を聞くことが できるのも耳のおかげです そして 沈黙を聞く
こともできるのも

生命のやさしい 甘い香りを 感じさせてくれる鼻にも ありがとうと いってあげま
しょう

そして あなたの頬(ほほ)にありがとうと 微笑み 笑うことを可能にしてくれる
その頬に

あなたの目にも ありがとうと いってあげてください創造物の美しさを 見ることの
できる目に

太陽を 昇る太陽も 沈む太陽も 見ることができる目に太陽はいつでも わたしたち
にぬくもりと 暖かみを与えてくれます

さあ 息を深く吸い込んで そして吐き出して ゆっくりと休んでもいいのです

そして いつも色々な考えを 創りだしてくれる脳に ありがとうと いってあげて
ください

あなたが頭の中で思い 考えることは すべて祈りです

いままであなたが考え、思ったことはすべてに ありがとうと いってあげましょう


ここまでが、『全身の感謝の祈り』です。


毎日、声に出して読み、ありがとうと、全身に感謝しましょう。

<参考書籍>
 ホーミタクヤセン インディアンの癒しの言葉

この感謝の祈りを実践してみてください。
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病名や症状に関係なく、この冊子は、あなたに役立つかもしれません。そこには「言葉の力
を信じる素直さ・感謝・行動・継続」が“カギ”となります。

多くの著書では「まずは考え方を変える」と述べています。

しかし、実際にはできません。私の気功療法の経験から、まずは「言葉を変える」。

すると目の前に起こる現象が変わります。その結果、「考え方が勝手に変わっていきます」。

人生を豊かに、そして感謝の言葉、それは「ありがとう」です。日本語のなかで、最高に
素晴らしい言葉です。

気功療法に来られた方に、今日から、朝起きたとき、そして眠るときに“ありがとう”を
100回言ってもらうようにアドバイスしています。

まずは、その理由からお伝えいたします。別の冊子にも載せている内容です。あらかじめ
ご了承ください。


1)人生を変える「ありがとう」 *一部編集しています。

小林(こばやし)正観(せいかん)さんの「そ・わ・か」の法則より

朝起きて、ベッドから下りる前に、「ありがとう、ありがとう、 ありがとう」と百回言っ
たとします。

そうすると、脳は突然不安定になる。なぜ、現象がないのに、「ありがとう」なんだろう
と。

このように、先に「ありがとう」を百回言うと、脳は、ありがとうの合理的な理由を探し
はじめるらしいのです。

カーテンを開けた瞬間に太陽の光がパーッと差し込んだら、「あー、うれしい。ありが
とう」と叫ぶ。これで1回。

さらに、白いご飯に湯気が立っていると、「あー、 ご飯がおいしそうだ。ありがとう。
早く起きて、ご飯を作ってくれて、ありがとう」と叫ぶ。これで2回。

脳は、合理的な理由・説明がないと不安定になって、その現象を探しつづけます。

現象がないのに、先に「ありがとう」を100回言ってしまうと、脳は「ありがとう」の
現象を一生懸命探そうとします。

そうすると、その日の朝から、目にするものに対して、「ありがとう探し」が始まるの
です。

少し補足しますと、脳は興味のあることやものを探そうとするのです。

例えば、部屋の中にいて、黄色のものを見つけてくださいというと、黄色のものしか見え
ないのです。

また、買いたい車があったとしたら、やたらと買いたい車が道路を走っているのが目に
つきます。

ありがとうも同じです。ありがとう現象を脳が勝手に探しだすのです。

それで、起きて「ありがとう」を100回言って、一時間たって100個「ありがとう」
を見つけて、またそこで「ありがとう」を100回言うと、脳はまた不安定になって、
100個の現象を探しはじめます。

「ありがとう」を言った人は、一日中ずっと「ありがとう探し」をして、脳が「ありが
とう」に満ちあふれながら一日を終えることになるのです。

同じように朝起きたときに、「あー、幸せ」と理由もなく言ってしまいましょう。

「あー、幸せ」と20回言った瞬間に、「あー、幸せ」に相当する現象を20個探そうと
するので、「これも幸せ」、「あれも幸せ」ということになるのです。

それで、「あー、幸せ」と言ってしまった結果として、幸せ探しをはじめることになり
ます。

結局のところ、私たちが、目の前の現象をどう思うか、どう感じるかであって、「幸せ」
という名の現象が宇宙に存在するわけではありません。

だから、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが1個。目が見えることを幸せ
だと思った人は、幸せが2個手に入ります。

耳が聞こえて幸せ、口で物が食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて幸せ・・・・というふう
に考えていったら、いくらでも幸せが手に入ります。

脳は、先に出してしまった言葉に対して、不条理・不合理を認めなくて、合理的な事実を
それに当てはめて解釈しようとする非常に変わった性格をもっています。

先に「幸せ」「ありがとう」と言ってしまうと、その瞬間から 突然に脳は「幸せ」を探し
はじめ、ありがとう探しをはじめるようにできているのです。

もし、起きたときに、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」と20回
言ったとします。

そうすると、いきなり脳が、その合理的な理由を探しはじめます。すると「つらい、悲し
い、つまらない、嫌だなど」の現象を探しはじめ、目の前にその事象が起きるのです。

「ありがとう」という言葉は、ものすごい力をもっているので、できるだけ多く言って
ください。

そのときに別に心がこもってなくてもいいのです。「ありがとう」を言いつづけて臨界
点(りんかいてん)を超えると心から感謝の念がわき上がってくるようになるのです。

複雑骨折した人が病院のベッドで、「ありがとう、ありがとう」と言いつづけたら、
全治三か月と言われていたのが、1カ月で治ってしまった話。

それから、脊髄(せきずい)を損傷して三か月は絶対安静で、もしかすると脊髄(せきずい)
が切れてしまって、半身(はんしん)不随(ふずい)になってしまうかも しれないと言われ
た人が、上を向いて「ありがとう、ありがとう」と言っていたら、治ってしまったという話。

そういう話をある方が聞いて、とにかく心をこめなくても「ありがとう」を言いはじめた。
食べるときと人と話すとき以外は、ずっと言い続けていました。

一日目と二日目は何ごともなかったそうです。三日目になり、数千回言っていたら、
突然、涙がどっと出たのです。そして、本当に心の底から「ありがとう」と思えるように
なったそうです。

そういう気持ちで、身のまわりのものを見たら、優しい気持ち、感謝の心、ありがとうの
心で、自分のほうに話しかけてくるのを感じたそうです。

言葉にはエネルギーがあり、とくに「ありがとう」には最高のエネルギーが宿っています。

繰り返すことにより、マーフィーの法則でいう 潜在意識にすり込まれ、「ありがとう」
の現象がつぎつぎに起こるのです。

一日を、ありがとうにはじまり、ありがとうで終わってはいかがでしょうか。

「ありがとう」の波動は最高です。たくさんの奇跡を、あたり前に呼び寄せてくれます。

皆さんも、ぜひ、やってみてください。

<ありがとうの語源>
「有り(あり)難(がた)し」から来ています。有り難しというのは、存在しにくいこと、
有り得ないことを、そう呼んだそうです。つまり、神・仏が何か「あり得ないこと」を
起こしてくれた場合に使った言葉でした。

神・仏をほめたたえ、賞賛(しょうさん)する言葉として、「ありがとう」、「有り難し」、
「有り難い」という言葉が存在したのだそうです。人に使われるようになったのが、
室町時代以降のことだそうです。


2)命(いのち)のメッセージ「ありがとうが生んだ奇跡」

               chichi2016年8月号より
(工藤房美:くどう・さふみ)
 昭和33年宮崎県生まれ。三児の母。48歳で子宮がんを発病。さらに肺と肝臓に
 転移が見つかり、「余命1ヵ月」と宣告される。そのわずか10ヵ月後に全身から
 がんがきれいになくなり、完治。現在はその体験を語り歩く一方で、インド・ネパー
 ル料理店を二店舗経営。


(村上和雄:むらかみ・かずお)
 昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院博士課程終了。53年筑波大学
 教授。遺伝子工学で世界をリードする第一人者。

現代医療では、もはや手の尽くしようのないガンを患いながら、見事に生還を果たした
工藤房美(くどうふさみ)さん。

その過程には、村上和雄氏が著した一冊の本との出会いがあった。

生かされていることへの感謝の念を数えきれないほどの「ありがとう」に託してこられ
た工藤さんに、闘病の奇跡を語っていただいた。

お二人の会話の内容ですが、お伝えしたいところのみ整理しております。

(工藤)いま思えば、がんになる前というのは、ものすごく無理をしていたと思うんです。

    うちには息子が3人にいて、家も新築に引越したばかりだったので、子育てや
    生活、お金のことなどどれも大きな問題でした。

    それに朝は3時に起きて夫や子供たちのお弁当づくりに始まり、仕事は遊戯
    業(ゆうぎぎょう)の会社に長年勤めていて、早番と遅番の二交代制で働いて
    いました。

    特に遅番の翌日が早番だと、お弁当と朝食をつくっていたらほとんど寝る間も
    なかったので、生活のリズムはかなり乱れていましたね。

    当時は平均2、3時間くらいだったと思うのですが、とにかく一所懸命でした。

(村上)体力があるんだな。それに気力も。

(工藤)日頃から頑張れるだけやってみようという気持ちは常にありました。でも体の
    方はきっと悲鳴を上げていたと思うんですよ。実際、体の具合が悪い日が
    何度かありました。

(村上)病院には行かれなかったのですか。

(工藤)これはちょっと不思議な話なのですが、夢の中で「病院に行ってくれるな」と
    言われていたんです。

    実は何年か前に蓄膿(ちくのう)の手術で入院したことがあって、その時に
    抜糸(ばっし)をするために使われた麻酔(ますい)の量が多すぎて危うく死ぬ
    ところだったことがありました。

    夢の中に出てこられた方が言うには、「あの時は、お前を助けるのがとても大変
    だったから、もう二度と病院にが行かんでくれ」と。それで病院には行きません
    でした。

(工藤)ところがある日のこと、職場で鼻血が止まらなくなってしまったんです。それも
    すごい勢いで。

    すぐに日赤病院に運ばれて、応急処置をしてもらったのですが、一刻も早い検査
    が必要だということで、家から一番近い総合病院に検査に行きました。

(工藤)当時48歳でした。先生から「君はがんだよ」。とてもショック。子宮がんでし
    た。

    先生から、「とても残念ですが、あなたのがんは広がりすぎているため僕の腕は
    振るえません」と言われてしまって・・・

    もう不安でいっぱいでした。まず出血を止めるために血管に放射線を当てましょ
    うと。それは1日1分、全部で30回の治療で痛みはないという説明を受けまし
    た。

    ただ、その後に「ラルス(遠隔操作式高線量腔内照射装置)」という、痛くて
    苦しい治療を3回しますと言われました。

    わずかながら希望の光が見えたように感じました。

(村上)実際に治療を受けてみていかがでしたか。

(工藤)放射線治療も後半に入ってくると、皮膚が火傷した状態になって、とても痛かっ
    たです。でもそれとは比べものにならないくらい、「ラルス」は本当に大変でし
    た。

(工藤)看護師さんが「タオルを持ってきてくださいね」って言うんですよ。私は首に
    かけたタオルを指して、「持っていますよ」と笑顔で答えたら、その看護師さん
    が「いえいえ、口にくわえるタオルです」って。

(村上)口にタオルを。

(工藤)不安が広がって、足が震えだしました。麻酔や痛み止めは一切使わないため、
    患者が1ミリも動けないように診察台に固定するところから始まりました。
    体をグルグル巻にされて、最後に口にタオルを押し込まれました。

    1時間にわたる治療が始まりましたが、もう痛いとか苦しいなんてものじゃ
    ない。でも、悲鳴をだそうにもタオルのせいで声も出ない。
    
    溢(あふ)れる涙を拭(ぬぐ)いたくても、それすらできない。

    こんな治療をあと2回も続けるのかと考えたら、もう治らなくていいから、その
    まま消えてしまいたいと思いました。

    “運命を変えた一冊の本”

(工藤)いよいよ明日は2回目の「ラルス」という日のことでした。

    三男が通っている学校の先生が、本をプレゼントしてくれたんですよ。お手紙に
    は「筑波での研修会に行ったとき、村上和雄先生という方で、その先生のお話に
    とても感動したのです。

    それで村上先生の本を買い求めて読んでみました。どうか、この本を読んで元気
    になってください」とありました。

   「生命(いのち)の暗号」だったんです。

 *気ゴコロ療法院にあります。読んでみてください。

(工藤)本を開いたらいっぱい線が引いてあったので、そんな大切な本をわざわざ届けて
    くださったことがとても嬉しくて。

    その本を読んでいるうちは、次の治療のことを忘れられるんじゃないかと。

    いざ読み始めたら、知らないことがいっぱい書かれていて、のめり込んでいきま
    した。

    例えば、「体重60キロの人は、約60兆個の細胞を持っている」。

    「ヒトの細胞1個の核に含まれる遺伝子の基本情報は、30億個の化学の文字で
    書かれており、これをもし本にすると、1ページ千語で千ページの本3千冊分に
    なる。これだけの膨大な情報量を持った遺伝子が、60兆個の細胞一つひとつに
    全く同じ情報として組み込まれている」。

    「人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか5%程度で、そのほか
    の部分はまだよくわかっていない。つまりまだオフになっている遺伝子が多い」。

    「お父さんの染色体が23個で、お母さんの染色体が23個。一組の両親から生ま
    れる子供には70兆通りの組み合わせがある。最初の生命が生まれる確率は、
    一億円の宝クジに百万回連続して当たる確率とほぼ同じ」

    人間は生まれてきただけでも大変な偉業を成し遂げたのであり、生きているだけ
    で奇跡中の奇跡なのだ。

    そう思ったら本当に嬉しくなって絶望なんてしていられない!私にだって希望は
    ある!と思えたんです。

    村上先生がおっしゃるサムシンググレートのお力によって生かされていると思う
    と、本当に嬉しくて、感動と喜びで涙が止まりませんでした。

(工藤)あとどのくらい生きられるか分からないけど、ずっと支えてくれた60兆個の
    細胞に一つひとつお礼をいうことにしました。

    最初はがんでない部分から始めました。

    「見える目にありがとう」、「聞こえる耳にありがとう」、「動く手にありがと
    う」体のどの部分どれくらい細胞があるかなんて分かりませんでしたが、とにかく
    ずっと「ありがとう」を言い続けました。

    そのうちに夜が明けてきて、治療の時間が近づいてきた頃には、がん細胞にも
    「愛しているよ。いままで私の細胞でいてくれたんだから消えなくていいよ」
    って言っていました。

(村上)ああ、がん細胞に対してもお礼を。

(工藤)そうしたら不思議なことが起こりました。あんなに痛くて苦しかった「ラルス」
    が、2回目の時には全く痛くなかったんですよ。

(村上)それは驚きだ。

(工藤)3回目の治療の時もやはり同じでした。そしてその間も、とにかく寝ても覚めて
    も四六時中「ありがとう」を言い続けていました。

    その後いったん家に戻ることができて、1ヵ月半後に病院で検査を受けました。
    そうしたら主治医が私のレントゲン写真を診て笑っているんですよ。
   
    それも声を上げて。

    そして私のほうを振り向いて「きれいになっている」っておっしゃったんです。

(工藤)びっくりしました。これはきっと「ありがとう」の力のおかげだって。「ありが
    とう」という言葉にはきっと特別な力がある。主治医からは「子宮がきれいになっ
    たのだから、抗がん剤を使いたい」と言われました。

    このまま何もしなければ1ヵ月もたないだろうと言われました。ずいぶん迷いまし
    たが抗がん剤治療受けることにしました。

    抗がん剤は6回受けたのですが、治療期間は寝ても覚めても痛くて、苦しくて。

    いつ終わるともしれない苦しみに負けそうになりましたけど、その間もずっと
   「ありがとう」だけは言い続けました。

    髪の毛がごっそり抜け落ちました。この一本一本も私の体の一部だったと思い、
    一本一本の髪にも、「ありがとう」とお礼を言ってから捨てることにしたんです
    よ。

(村上)髪の毛一本一本にまで。

(工藤)髪の毛って10万本くらいあるといわれているので気の遠くなるような思いでした
    けど、時には徹夜をしてでも、言い続けました。

    でもそうやって続けていると、ある時、ありがたい気持ちが小さな雪のように心に
    積もってくる感じがして、とうとうそれがあふれ出てきたんですよ。
    
    そうしたら、とてもいい気分になって、生きるとか死ぬとかいうこともどうでも
    よくなってしまったんです。

    そして、ついに髪の毛が一本もなくなった時のことですが、息子が私に向かって
    こう言ったんです。「お母さん、この特別な状況を楽しまんといかんよ」って。

(村上)それはすごい言葉だな。

(工藤)それまでの私の人生の中には、楽しむという選択肢がなかったことに気づかされ
    たんです。

    それから息子がプレゼントしてくれた金髪のかつらをかぶって、お化粧をして
    おしゃれもして外に出るようにしました。とにかく毎日少しでも楽しもうと。

(工藤)近くに住んでいる人が朝日を浴びるといいよと教えてくれたので、毎朝目が覚め
    ると、「70兆分の1の奇跡できょうも生かされています。ありがとうござい
    ます」と言ってから、朝日を浴びに外に飛び出していました。

(村上)とても余命一ヵ月のがん患者とは思えないですね。

(工藤)そうなんです。そのうちに体がどんどん軽くなっていくのに気づいたので、翌年
    の2月末に病院で検査をしてもらうことにしました。そうしたら、何とがんが跡形
    もなく消えていたんですよ。

    主治医が本当に驚いていました。「いままでこんな症例は見たことがない」って。
    最初のがんが見つかってから、ちょうど10ヵ月目のことでした。

(村上)本当に良かったですね。心を変えたら遺伝子のスイッチがオンになると言ってい
    ますけど。

    特にがん遺伝子については、がんを起こす遺伝子とがんを抑える遺伝子の二つが
    あるんですよ。

    そして、がんを促進するほうの遺伝子がオフになって、抑制する遺伝子がオンに
    なることでがんが治るのではないかということを僕は前から考えていたのですが、
    工藤さんのおかげでそれが実例として出てきたのは非常にありがたく、そして嬉し
    いことです。

(工藤)退院した時の話なんですが、主治医の先生から退院療養計画書というのを渡され
    たんですよ。熱が出たらこうしなさいといった注意事項や、これから先の計画や
    指示が書かれていました。

    ところがそれを受け取った瞬間、何だか気分が悪くなったんです。最初はがんの
    せいかなと思っていたのですが、しばらくしてハッと気づいたんです。
   
    「私の人生なのに、何で他の人が私の人生計画を立てるんだ?」って。

(工藤)一晩中かけて10年分の計画を書く事にしました。

    そして最後の行には「病院には検査に行きます。けれども私は元気になっていま
    す。がんは治りました。

    だから、主治医の先生に元気を持っていってあげます。ありがとうございまし
    た。」と書いて、退院前日に自分の療養計画書を主治医に手渡しました。

    先生は、「この計画通りに生きてください」と言ってくださったんですよ。

(村上)この10年間ですべて計画通りにいきましたか?

(工藤)おかげさまで病気も治りましたし、それまでの職場を辞めて、新しい仕事をはじ
    めることもできました。

(村上)いまでは講演するようになりましたね。

実際のchichiの月刊誌は、気ゴコロ療法院にありますので、いつでもご覧いただけ
ます。
   
いかがだったでしょうか。ありがとうの言葉のすごさは。お金もかからず、ちょっとした
修行で人生に奇跡を起こすことができるのです。さあ、行動です。


3)一日千回の「ありがとう」
                   宇宙方程式の研究 小林正観vs山平松より

「ありがとう」の効能について、あるご婦人の実例を小林さんは挙げています。もちろん、
この方程式がすべての人に当てはまるかどうかは保証のかぎりではない、と但し書きを
しています。

ある日、自分の講演会の会場入口で小林さんは、見知らぬご婦人からいきなり声をかけら
れます。

「ありがとうございました。正観さんのおかげで命を助けてもらいました」と、ご婦人は
お礼を述べるのです。初対面です。小林さんが詳しくお話を伺ってみるとこうです・・
・・。
 
ご婦人は末期がんでした。医者から、自宅で静養するようにと宣告されていたそうです。
手の打ちようがないというのが実状でした。

以前、講演会で小林さんの話しを聞いた娘さんが、こう母親に告げていたそうなの
です・・・・。

「ありがとう」を(心を込めなくてもいいから)2万5千回言うとなぜか涙がでてくる。

その涙が出たあとでさらに「ありがとう」を言おうとすると本当に心の底から感謝の念が
湧いてきて、「ありがとう」の言葉が自然に出てくる。

さらに、その後重ねて、「ありがとう」を2万5千回ほど言うと、嬉しくて楽しく幸せな
奇跡が起りはじめるらしい・・・・。

医者の宣告に落ち込んでいた母親は、もう手の打ちようがないのなら奇跡にかけてみよう
と一日千回、「ありがとう」を言おうと決心します。

30日ほどたったところで、(「ありがとう」を3万回ほど口にした)、それまで壁や
机にすがって伝い歩きしかできなかったのが、自分の足でそろそろ歩けるようになります。

2ヵ月後(「ありがとう」を6万回)、近所の人から最近顔色が良くなりましたね、お
元気そうですねと言われます。
 
3ヵ月後(「ありがとう」を9万回)、体重が増えて顔がふっくらしてきます。

これはおかしい、体が変調を来たしているようだと不思議に思います。さらに十日間、
合計10万回の「ありがとう」を口に出し、それから再検査を受けに病院に行きました。

もたらされた結果は、がん細胞が全身から消えているというものでした。末期がんが
治ったのです。


ここまでが本の内容になります。


【何回声に出せばいいのか】
その数は千回なのです。古くから「千」という数字には不思議な力が秘められています。
なんでも千回実行すると神様が力を貸してくれるのです。

一つ注意があります。「ありがとう」の途中で、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句
のどれかを言ってはダメです。
 
悪口を言った瞬間、チーンと音がして、それ以前の「ありがとう」が消えるのです。
もし言った場合は、10秒以内に「今のナシナシ!今のはまちがい!」と取り消してくだ
さい。

【この世に生きるということ】
雨あられのように降ってくる、ありとあらゆる現象に対して、いかに不平不満を言わない
ようになるか、これが第一段階です。

さらに同じ現象に対して不平不満を言わないどころか、いかにその現象の中に「うれし
い、楽しい、幸せ、おかげさまで」を見つけるか、これが第二段階です。

最後に同じ現象の中で、いかに「ありがとう」と感謝することができるか、これが第三段
階です。

人間は、結局これが問われているのだと思います。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。
前編、中編に引き続き、“人生を拓く「真の逆境力」を身につける”の後編、最終になり
ます。

1.人生における問題、すべて、自分に原因がある

しかし、この「解釈力」を正しく発揮するためには、もう一つ、心に定めるべき大切な
覚悟があります。

それは、「人生における問題、すべて、自分に原因がある」という覚悟、「第三の覚悟」
です。この覚悟を定めることができるかどうかが、大きな分かれ道です。

では、なぜ、この覚悟が大切か。実は、「解釈力」と言っても、目の前に与えられた逆境
の「意味」は、いかようにも解釈できるのです。

例えば、仕事において、あるトラブルが生じたとします。そのとき、「これは、当社の
組織に問題があるということを教えてくれている」と解釈する。それも解釈です。

また、「この出来事は、あの上司に問題があるということを教えてくれている」と解釈
する。これも解釈です。

しかし、こうした「自分以外に責任を問う」「自分以外に責任を押し付ける」という
「他責」の解釈をしている限り、人間として成長できないのです。そして、道も拓け
ない。運気を引き寄せることもないのです。

逆に、そうした「他責」の姿勢ではなく、「起こること、すべて自分に原因がある」と
いう「自責」の解釈をすると、人間的に成長できるだけでなく、なぜか、運気も引き
寄せるのです。

例えば、元サッカー日本代表監督の岡田武史さん。この方が横浜F・マリノスの監督だっ
たとき、審判の明らかな誤審で試合を失ったことがあります。

テレビのリプレイを見ても、明らかに審判の誤りだった。しかし、判定は覆らない。
その試合の後、インタビュアーに「審判の誤審で負けましたね」と聞かれた。インタ
ビュアーは、岡田監督から愚痴の一つも聞こうとした場面でした。

ところが、そこで岡田監督は、感情的になることもなく、堂々と、こう言いました。

「ええ、審判も人間ですから誤審をすることはあるでしょう。でも、我々は、それも含め
て勝たなければならないんです」。

岡田監督は、堂々とそう言った。

日本には、昔から、「運も実力のうち」という言葉がありますが、「それも含めて勝た
なければならない」と、敗北を自分の責任として受け止める姿勢、それが、岡田武史と
いうリーダーに、いつも強運をもたらしているのでしょう。

そもそも、我々が問題に直面し、「自分の責任ではない。誰かの責任だ」と思うときは、
多くの場合、我々の心の中で「小さなエゴ」が動いています。そして、その「小さなエ
ゴ」が動いているときは、必ず、「解釈」を誤ります。

例えば、感情的になっているとき、誰かを非難する思いが強いとき、自己弁護の思いが
強いとき、こういうときは、必ず「解釈」が歪みます。「解釈」が濁ります。そして、
そのとき、「大いなる何か」が、我々に手を差し伸べることはないのです。

そうであるならば、皆さん、ご自身の心の中にある「小さなエゴ」の動きは見えている
でしょうか。

「小さなエゴ」は、誰の心の中にもあります。私の心の中にもあります。そして、この
「小さなエゴ」は、消そうとしても、消えるものではありません。

捨てようとしても、捨てられるものではありません。それは、生涯つき合っていくべき
ものです。

よく、「我欲を捨てる」という言葉や、「私心を去る」といった言葉を簡単に言われる
方がいますが、実は、人間の心は、それほど簡単ではないのです。

心の中の「小さなエゴ」は、「捨てた」と思っても、それは、単なる錯覚か、思い込み
であり、実は、心の奥深くに隠れているだけなのです。それゆえ、何かの拍子に、容易
に、また表に現れてくるのです。

だから、自分の心の中の「小さなエゴ」とは、生涯つき合う覚悟を定めた方が良い。
むしろ、捨てたつもりになっていることが、危ない。

「自分は我欲を捨てた」と思っても、ただ、そう思い込んでいるだけであり、心の中で
抑圧した「小さなエゴ」は、別のところで必ず鎌首をもたげるのです。それが人間の
心の姿です。

だからこそ、宗教的に深い境涯にまで行かれた人物、例えば、親鸞のような人物は、
その境涯に至ってなお、あの言葉を残すわけです。

「心は蛇蝎(だかつ)のごとくなり」。自分の心は、ヘビやサソリのごとくだ、と。
たしかに、誰であろうとも、自分の心を深く見つめると、そこには、「小さなエゴ」の
蠢(うごめ)きがある。

衝動がある。思わず怒りに駆られる瞬間も、人を妬む(ねたむ)瞬間も、恨む(うらむ)
瞬間もある。それが、人間の自然な姿ではないでしょうか。

そして、こうした指摘は、決して親鸞だけではない。昔から、真の宗教家は、この「小さ
なエゴ」の問題を鋭く指摘しています。「小さなエゴ」を捨てたつもりになって幻想に
入るべきではない。それ自身が、「小さなエゴ」の擬態であると。

では、どのようにして、その「小さなエゴ」に処すればよいのか。それを捨てたつもり
になって抑圧しても、一度、心の表面から隠れるだけで、また、すぐに鎌首をもたげて
くる。その「小さなエゴ」に、どう処すればよいのか。

実は、そのための方法は、ただ一つです。

「心の中のエゴを、ただ静かに見つめること。否定も肯定もせず、ただ静かに見つめる
こと」。

それが唯一の方法です。

例えば、自分の中に怒りが湧き上がってきたとき、「ああ、自分は、今、目の前のこの
人物に強い怒りを感じている・・・」と、静かに自分の心を見つめることです。

例えば、自分の中で嫉妬の心が動くとき、「ああ、自分はやはり生身の人間だ。今、嫉妬
の心が動いている」と見つめることです。

こうした修行を続けていると、いつか、「自分を静かに見つめる、もう一人の自分」が、
心の中に生まれてきます。

そして、「成熟」という言葉の本当の意味は、心の中に、この「もう一人の自分」が生ま
れてくることなのです。

それゆえ、精神の成熟した人物は、例えば、数分前のことでも、「先ほどは申し訳ない。
私も少し感情的になりました・・・」といったことを謙虚に言えます。

自分の心の中の「小さなエゴ」の動きを、一度、冷静になって見つめ、そうしたことを
言えるというのは、「成熟した精神」の証でしょう。

一方、人間として未熟な人物には、周りから、なかなか厳しい言葉が語られます。

「あの人は、自分が見えていない」。すなわち、自分の心の中の「小さなエゴ」の蠢(う
ごめ)きや衝動が、今、自分にどのような感情をもたらしているかが、見えていないの
です。

しかし、自分の心の中に、「小さなエゴ」の蠢きや衝動を静かに見つめる「もう一人の
自分」が生まれてくると、自然に、先ほど述べた「人生における問題、すべて、自分に
原因がある」という覚悟が掴めるようになってきます。

そして、その覚悟を掴むと、人生というのは、ずいぶん目の前が開けていきます。

ただ、こうした話は、「頭」で理解するのは簡単です。「知識」として理解するのは簡単
です。

優秀な人であれば、話を聴き終わった後に、「3番目の覚悟は」と聞かれて、「○○
です」と答えることは簡単です。

しかし、この覚悟を、体験を通じた「智恵」として掴むことは、決して容易ではない。
その覚悟を、本当に腹に刻むこと、心に刻むことは、容易ではない。

それを掴むには、「行ずる」しかない。日々の仕事や生活の中で、実践するしかない。
だから、「修行」をすることが大切なのです。

そして、修行というものは、3日や3ヶ月で終わるものではありません。どれほど短く
ても、3年、修行を続けることです。行じ続けることです。そのとき、ようやく見えて
くる世界があるのです。

しかし、今の世の中には、「いかに手っ取り早く」「いかに苦労せず」「いかに楽をし
て」という発想がはびこっています。

書店に行けば、そのような本ばかりが溢れている。だから、我々は「堪え性(こらえしょ
う)」がなくなる。本当に大切なことは、簡単には身につかない。

しかし、3年、腹を据えて修行をすれば、素晴らしい何かが掴めるにも関わらず、それ
ができない。油断をすれば、我々は、そうした「堪え性」のない人間になってしまうの
です。

だから、皆さんには、一つの覚悟を定めて頂きたい。「3年でも、5年でも、修行をし
よう。いや、修行とは本来、生涯をかけ、命尽きるまで続けていくべきものだ」という、
その覚悟を定めて頂きたいのです。

もし、この場に集まられた1400名の方々が、その覚悟を定められたならば、我々の
想像を超えた素晴らしいことが起こります。

今日の講演で皆さんにお伝えしたいことは、「逆境を越え、人生を拓く5つの覚悟」に
ついてです。

では、私はどこで、この「5つの覚悟」を学んだのか。もとより、あの禅寺で、何か
一つひとつ教えて頂いたわけではありません。

あの禅寺で禅師より教えられた、「今を生き切れ!」という一言だけを携えて東京に戻り、
仕事の世界に戻ってみると、色々なものがすべて深い学びだったのです。

例えば、ある上司がいました。その方はクリスチャンであり、非常に深い宗教的な情操を
持っている物静かな上司でしたが、その上司が、あるとき、私を食事に誘ってくれたの
です。

静かなレストランで食事をして、最後にコーヒーを飲んでいるとき、その上司が、自身に
語りかけるように、呟いたのです。

「仕事をしていると、毎日、色々なトラブルがあるのだね。そうしたトラブルが起こる
たびに、この会社の組織に問題がある、あの上司に問題がある、あの部下に問題があると
思うんだね・・・。

しかし、家に帰って一人静かに考えていると、いつも同じ結論に辿り着く。『ああ、自分
に原因があった』。いつも、その結論に辿り着くのだね」

私は、その話を聞いたとき、最初、「なんと謙虚な人なのだろう」と思ったのですが、
その会食の帰り道、ふと気がつきました。

「ああ、あの上司は、自分のことを語る姿を通じて、私に、大切なことを教えてくれて
いたんだ」と気がついたのです。

当時の私は、あるプロジェクトのリーダーとして、毎日起こる様々なトラブルを前に、
心の中で苛立ちを抑えきれなかったのでしょう。そのため、口に出さずとも、どこか周り
を非難するような雰囲気が表れていたのでしょう。

その私の姿を見て、この上司は、静かに自身を語る言葉を通じて、大切なことを教えて
くれたのです。そのお陰で、私もその日から、「すべてのことは、究極、自分に原因が
ある」と思い定める修行を始めました。

しかし、これは決して「自分が悪い」という意味で申し上げているのではありません。
これは臨床心理学の世界で語られる「引き受け」という心の姿勢の大切さを申し上げて
いるのです。

以前、臨床心理学の河合隼雄先生と対談をさせて頂いたことがありますが、カウンセリ
ングでは、クライアントの方が立ち直って成長していくとき、必ず、この「引き受け」と
いう心の姿勢に転換されるということを述べられていました。

すなわち、クライアントの方が癒されていくときには、必ず、心の中で、この「引き受け」
が起こっているのです。

例えば、「長年、親父のことを鬼だと思っていたのですが、実は、私は親父にずいぶん
助けてもらっていたのですね・・・」などと語り、自分で問題の原因を引き受けるようになる
のです。

逆に、人生で与えられた問題について、誰かを非難したり、攻撃している限り、実はその
方が救われないのです。

そして、これは、臨床心理学やカウンセリングだけの問題ではありません。我々の人生に
は色々なことがありますが、最初は、誰もが、自分以外に原因を見つけ、批判したり、
非難をする傾向があります。

しかし、それでは問題が解決せず、壁に突き当たり、悩み、最後に、「いや、これは自分
が引き受けるべき問題だ。自分が成長することによって、この問題を乗り越えていこう」
と思った瞬間、不思議なほど、目の前の風景が変わり、なぜか物事が好転し始めるのです。

なぜ、こうした不思議なことが起こるのか、科学的には証明できません。

しかし、私自身、問題に直面したとき、こうした「引き受け」の心の姿勢に転換した瞬間
に、色々な物事が不思議なほど好転し始めることを、これまで何度も体験してきました。

そして、こうした体験は、私だけではありません。

私は、しばしば中小企業の経営者の方々に講演をさせて頂くことがありますが、こうした
「引き受け」と「問題好転」の話をすると、経営者の方々は、皆さん頷かれます。

自分の心が「引き受け」の姿勢に変わった瞬間に、なぜか、もうどうしようもないと思っ
ていた目の前の問題が好転し始めたり、出口の無い状況が変わり始めたりする。

そういう人生の不思議を、皆さん、体験されているのですね。

実際、今、この会場にも頷(うなず)かれている方が何人もいらっしゃいます。皆さん
の中にも、こうしたことを体験された方いらっしゃるのでしょう。

そして、この「引き受け」ができるという心の強さが、実は、「魂の強さ」と呼ぶべき
ものなのです。

例えば、あるプロジェクトのリーダーである田中さん。そのプロジェクトメンバーの一人
である鈴木さんが犯したミスによって大きなトラブルに直面した。

上司は、鈴木さんに非があると分かったうえで、「田中さん、今回のトラブルの原因は、
鈴木さんかな?」と聞く。

すると、「いや、鈴木さんに対する私の指導が甘かったのです。私の責任です。申し訳
ありません」と言う。そういう「引き受け」をするタイプのリーダーがいます。

もちろん、別のタイプのリーダーもいます。「そうなんです。前から鈴木さんは、仕事
のやり方が甘いんです。だから、こうしたトラブルが起こったのです」と言うタイプです。

こう言いたくなるリーダーの気持ちは分かるのですが、やはり、一人のプロフェッショ
ナルとして、そして、一人の人間として成長していくのは、明らかに前者のタイプです。

なぜなら、前者のタイプのリーダーは、「魂が強い」からです。こういうリーダーは、
見事なほど、成長していきます。

かけがえの無い自分の命を、何に使うのか――田坂広志氏が語るリーダーの覚悟


2.大いなる何かが、自分を育てようとしている

では、その「魂の強さ」は、どうすれば身につくのか。もとより、そこに、簡単な方法
はありません。

やはり、3年、5年、あるいは10年の修行が必要ですが、その修行のために必要な覚悟
を申し上げれば、「大いなる何かが、自分を育てようとしている」という覚悟、その
「第四の覚悟」を定めることです。

人生において、一度、この覚悟を定めると強いですね。なぜなら、この覚悟の根本にあ
るのは「逆境観」だからです。

人生において与えられる苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失、ときに病気や事故。
そうした「逆境」というものをどう捉えるかという「逆境観」。それを、どう定めるか
によって、人間の強さが全く違ってくるのです。

ただ、もともと日本人は、「逆境」というものを否定的に捉えません。戦国武将、
山中鹿之介の有名な言葉があります。「我に七難八苦を与えよ」という言葉です。

正直に申し上げて、私は若い頃、この言葉には、あまり共感できませんでした。しかし、
67年も人生を生きてくると、この言葉の深い意味が本当によく分かります。

世の中には、「艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉(たま)にす(*2)」という
言葉もありますが、この言葉の根本にある思想は、「逆境とは、人間を成長させるため
に、天が与えたものである」という思想です。

*2.人は多くの苦しみや困難を経てはじめてりっぱな人間となる意のことわざ。

「可愛い子には旅をさせよ」や「若い頃の苦労は買ってでもせよ」という言葉も、やは
り、「逆境」や「苦労」というものを否定的に捉えず、人間の成長にとって必要なもの
であるとの思想を語っています。

このように、もともと日本人は、素晴らしい「逆境観」を持っているのです。

従って、我々が、本当に人間として成長し、成熟していこうと思うならば、やはり、
「苦労や困難」「七難八苦」「艱難辛苦」といったものを体験する必要があるのです。

逆に言えば、ある程度の年齢になって、それまで、あまり苦労をしてこなかった人は、
顔を見ただけで分かってしまう。

本人は気がついていないのですが、ある年齢になるまでに、するべき苦労をしてこなかっ
た甘さが、顔に表れてしまうのです。そして、どこか人間としての軽さが、伝わってしま
うのです。

だから、皆さんも、臆することなく、人生で与えられる苦労や困難、失敗や敗北などの
逆境に正対し、3年、5年、10年の修行をされることを願います。

ただ、先ほど申し上げたように、最近の日本には、「いかに手っ取り早く」「いかに
苦労せず」「いかに楽をして」といった思想が溢れています。

それが、近年の我が国で、重量感のあるリーダーが育ってこない理由かと思います。

されば、皆さんには、人生で与えられる逆境を糧として逞(たくま)しく成長し、いず
れ、重量感のある堂々たるリーダーへの道を歩んで頂きたい。

そのためには、これからの人生において、壁に突き当たったとき、逆境に直面したとき、
必ず、思い起こして頂きたい。


3.その逆境は、大いなる何かが、皆さんを育てようとして与えたものです

そうであるならば、今、目の前にある逆境は、天が皆さんに与えた「最高の成長の機会」
なのです。

従って、皆さんには、「第四の覚悟」を定めて頂きたい。「大いなる何かが、自分を育て
ようとしている」という覚悟です。

その覚悟を定めた瞬間に、皆さんの目の前の風景が、全く違って見えてきます。目の前の
逆境の意味が、全く違って見えてきます。

そのとき、皆さんは、人間としての「最高の強さ」を身につけている自分に気がつくで
しょう。

逆境を越える叡智は、すべて、与えられる

そして、この「大いなる何かが、自分を育てようとしている」という覚悟を定めることが
できたならば、最後に定めるべきは、「第五の覚悟」、すなわち、「逆境を越える叡智は、
すべて、与えられる」という覚悟です。

なぜ、この覚悟の大切さを申し上げるのか。私自身、このことを何度も体験させて頂いて
いるからです。

あの禅寺で、何かを掴み、戻ってきた後も、病気の症状は10年を越えて続きました。
また、この病気以外にも、色々な逆境を与えられました。その中には、別な形での「生死
の境」という逆境もありました。

しかし、それらの逆境を前にしても、ここまで申し上げた四つの覚悟を定め、静かな心境
で目の前の逆境を見つめていると、不思議なほど、その逆境にどう処すべきか、直観的な
叡智が降りてくるのです。心の奥深くから沸き上がってくると言ってもいい。

それは、まさに不思議なほどです。逆境を前に、「そうだ、この方向に進んでみよう」
「ああ、この道がある」といった形で、何かの叡智が降りてくる。湧き上がってくる。

それは、決して「具体的な解決策」といった安易な意味のものではありません。もっと
深い意味で、「なぜか、あの人に会ってみようという気がした」「なぜか、この場所を
訪れてみようと思った」といったものです。

しかし、そうして、その人に会ってみたり、その場所に行ってみると、そこに、その逆境
を越えていくための、何かの深い示唆があったりするのです。

いま申し上げたのは、何かの不思議な「直観」が働くということですが、もう一つ、不思
議な「予感」が与えられることもあります。

今日は時間も限られているので、詳しく申し上げられないのですが、私は、35年前に
大病を与えられ、「今を生き切る」という生き方を身につけてから、なぜか、不思議な
ほどに「未来の記憶」とでも呼ぶべきものを感じるようになりました。

なぜか、あるとき、ふっと感じたことが、後に、「ああ、あのとき感じた予感は、この
ことだったのか」と思う経験が増えました。未来にやってくる何かを予感することが
増えたのです。

この不思議な「直観」や「予感」。おそらく、この会場にも、そうした体験を持つ方が
何人もいらっしゃるのではないでしょうか。この話を聴かれて、いま、会場では何人も
頷かれていますので。

もとより、人間の「心の世界」というものは、いまだ解き明かされていません。どれほ
ど科学技術が発達しようと、どれほど人工知能革命が進もうと、人間の「心の世界」の
不思議さを解き明かすことはできないでしょう。

例えば、分析心理学の創始者、カール・グスタフ・ユングが語った「集合的無意識」と
いうものの存在は、誰も証明できないのです。

しかし、仏教の世界では昔から、「阿頼耶識」という言葉で、その存在が語られてきま
した。そして、人間の心は深い所でつながっていると考えざるを得ない現象を、古来、
多くの人々が経験しています。

例えば、ふとした瞬間に誰かの視線を感じ、その方向を見ると、実際、誰かが自分を
見つめている。そうした経験は、誰もが持っているでしょう。

また、例えば、あるとき、ある人物のことが心に浮かんでくる。その瞬間、不思議な
ことに、その人物本人から電話がかかってくる。そうした経験を持つ人も、少なくない
でしょう。

こうした不思議な世界について語るのは、決して、怪しげな神秘主義を主張したいわけ
ではありません。

ただ、私のような科学者としての教育を受け、唯物論的な思想を身につけて歩んできた
人間でも、その人生において、決して否定できない、不思議な体験が与えられるという
ことを申し上げたいのです。

ただし、そうした体験の多くは、ここまで申し上げた、「今を生き切る」「今日という
一日を精一杯に生きる」という修行を続けていると、自然に与えられようになったの
です。

それは、私という人間が特殊なのではなく、皆さんも、「今を生き切る」という生き方
を、日々行ずるならば、必ず、様々な形で「直観」や「予感」が湧き上がるようになり
ます。

また、逆境に直面したときも、その逆境を越える叡智が、不思議な形で与えられるよう
になります。

しかし、今日の講演は、そうした話をすることが主題ではありません。また、そうした
話をする時間もありません。

もし、皆さんが、こうしたことに興味を持たれるならば、この講演の演題と同じタイト
ルの近著、『すべては導かれている』において、詳しく書きましたので、そちらを参考
にしてください。

この著書では、直観、予感、シンクロニシティ(共時性)、コンステレーション(布置)、
そして運気について語り、なぜ、そうした形で、叡智が与えられるのか、なぜ、我々の
人生では、そうした現象が起こるのかについても述べています。


4.自分の命を何に使うか

もう一度申し上げますが、こうした不思議な体験を持つのは、決して私だけではありま
せん。

例えば、ある新聞に『私の履歴書』という連載があります。これは、政治家や経営者、
学者や文化人、芸術家やスポーツ選手など、色々な分野で素晴らしい業績を残した「人生
の成功者」と呼ばれる方々が、その人生を振り返って語る短い自伝です。

ところが、ある研究者が、この数々の自伝を分析したのです。そして、「人生の成功者
と呼ばれる人物は、その人生を振り返ったとき、どのような言葉を最もよく使うのか」
という研究をしたのです。

当初の予想は、人生の成功者は、その人生を振り返るとき、誰もが、「頑張って」
「根性で」「諦めず」「粘り強く」といった言葉を最も多く使うのではと思われたので
すが、その分析結果は予想とは全く違ったものでした。

実際に最も頻繁に使われていた言葉は、「ふとしたことから」「たまたま」「折よく」
「偶然」「運の良いことに」などの言葉でした。

この研究結果を見ると、見事な人生を歩まれた方々、素晴らしい仕事を残された方々は、
どなたも「運が強い」と思われるかもしれません。

しかしそれは、単に「持って生まれた星」といった話ではありません。

これらの方々の「運の強さ」と見えるものは、何気ない出来事の中に、人生を拓く鍵を
鋭く感じ取る「直観」や「予感」の能力が引き寄せるものでしょう。

そして、それは、言葉を換えれば、「大いなる何か」からの声を聴く能力によって支え
られているのでしょう。

さて、もう時間も尽きました。最後にもう一度だけ申し上げたい。

もし、皆さんが、これからの人生において逆境に直面されたときには、思い出してくだ
さい。

「大いなる何か」が、皆さんを育てようとして、その逆境を与えている。その「大いな
る何か」は、逆境を通じて皆さんを素晴らしい人物へと成長させようとしている。

そして、その素晴らしい人物を通じて、世の中に素晴らしい仕事を残そうとしているの
です。

そのことを信じ、「大いなる何か」に導かれた人生を、精一杯に生きようという覚悟、
その覚悟を、昔から先人は、「使命感」と呼んできたのでしょう。

そうであるならば、これから皆さんには、その「使命感」を抱いて歩んで頂きたい。

そして、この「使命」という言葉は、素晴らしい言葉。なぜなら、「使命」という言葉
は、「命」を「使」うと読めるからです。

されば、皆さん、そのかけがえの無い命、何に使われますか。その覚悟を定め、歩んで
頂きたい。

皆さん、いずれ、我々の人生は、一瞬。100年生きても、人生は一瞬。誰もが、その
一瞬の人生を駆け抜けていく。

私も気がつけば、瞬く間に67年の人生を駆け抜けてきました。そして、あと何年生か
して頂くかは、すべて天の声。

されば、この一瞬の人生、精一杯に生き切りたいものです。

人生には、「三つの真実」があります。「人は必ず死ぬ」「人生は一回しかない」、そし
て、「人はいつ死ぬか分からない」。その三つです。

そうであるならば、必ず終わりがやってくるその命、一回しかないその命、いつ終わり
がやってくるか分からないその命、皆さん、何に使われますか。

その覚悟こそが、「使命感」。

その「使命感」を大切に歩まれることを。そして、「大いなる何か」に導かれた、素晴ら
しい人生を歩まれることを。

そのことを申し上げ、私の話の締めくくりとさせて頂きます。

ここまでが、人生を拓く「真の逆境力を身につける」になりますが、精神的にも肉体的に
も苦しまれている方々への生きる力になるのではと思い冊子にしました。

心が落ち込みそうになるつど、この冊子を読んでください。

【田坂 広志】
多摩大学大学院教授 田坂塾・塾長 世界賢人会議Club of Budapest日本代表

東京大学卒業、同大学院修了。工学博士(原子力工学)。
2000年、多摩大学大学院教授に就任。社会起業家論を開講。同年、21世紀の知のパラダイム転換をめざすグローバル・シンクタンク、ソフィアバンクを設立。代表に就任。2013年、全国から4800名の経営者が集う場、「田坂塾」を開塾。

最後までお読みくださり、ありがとございます。
人生を拓く「真の逆境力」を身につける――田坂広志氏が語るリーダーの覚悟
 田坂 広志

多摩大学大学院教授 田坂塾・塾長 世界賢人会議Club of Budapest日本代表

この冊子は、前編、中編、後編の三つに分かれています。そのなかの中編になり
ます。

それでは、内容にはいります。

1.人生で起こること、すべて、深い意味がある

そして、その「第一の覚悟」を定めると、自然に「第二の覚悟」が定まります。
それは、「人生で起こること、すべて、深い意味がある」という覚悟です。

「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という覚悟を本当に定めたなら、
自然に、この「第二の覚悟」の意味が分かるはずです。

なぜなら、我々の人生で与えられるのは、有り難い「順境」ばかりではないから
です。

ときに、辛い「逆境」も与えられます。そうであるならば、その逆境も含め、す
べてが導かれているということに、気がつくはずです。

すなわち、人生で起こる様々な出来事のうち、「幸運に見える出来事」だけが導か
れたものではないからです。

「不運に見える出来事」もまた、やはり、導かれているのだということに気がつく
でしょう。

そして、そのことに気づくと、人生における「不運に見える出来事」や「不幸に
見える出来事」にも、深い意味があることに気がつくはずです。

この「第二の覚悟」は、大切な覚悟です。この「人生で起こること、すべて、深い
意味がある」という覚悟を定めないと、我々の人生観は、浅薄(せんぱく)なもの
になってしまいます。

「どうすれば、幸運な出来事や幸福な出来事だけで、人生を生きていけるか」と
考え、「不運な出来事」や「不幸な出来事」が起きると、すぐに落胆してしまう。

それでは、偶然のように見える出来事に振り回される生き方になってしまいます。

もとより、「幸運な出来事」が起きれば、当然、有り難いと思い、感謝の心を抱く
べきでしょう。では、「不運に見える出来事」が起きたとき、どう処すべきか。

人間であるかぎり、その出来事が起こった当初は、落ち込むことがあってもいいで
しょう。しかし、いずれ、まもなく、心が立ち直るようであってほしい。

そのためには、その「不運に見える出来事」を、次のように受け止めることです。

「たしかに、こうした出来事を望んでいたわけではない。また、周りの人々は、
この出来事を、不運な出来事だと言う。

しかし、本当はそうではない。この出来事は、深い意味があって、今の自分に与え
られた出来事だ。そうであるならば、この出来事から、その意味を学ぼう。大切な
ことを学ぼう。

今、この出来事は自分に何を教えようとしているのか。自分に何を学べと言ってい
るのか。自分に何を掴めと言っているのか。自分に何を伝えようとしているのか。
そのことを真摯に学ぼう」

そう覚悟を定め、受け止めて頂きたいのです。

そして、この受け止めを、私は、「解釈力」と呼んでいます。これは文字通り、
「人生で起こった出来事の意味を解釈する力」のことですが、この力は、人生を拓く
ために最も大切な力の一つです。

特に、経営者やリーダーたるもの、会社やチーム全体が苦境に陥ったとき、誰も
が落胆するとき、社員やメンバーの誰よりも早く心が立ち直り、この「解釈力」を
発揮できるようでなければならない。

そして、社員やメンバーに対して、こう語れるようでなければならない。

「たしかに、この出来事は、残念な出来事だ。しかし、今、この出来事が与えられ
たのには、大切な意味がある。そうであるならば、今、その意味が何であるかを
考えよう。

この出来事から大切なことを学ぼう。この敗北から、この失敗から、この挫折から、
大切なことを学び、成長していこう。この出来事は、そのために天が我々に与えて
くれたのだから」

もし、皆さんが、逆境にあって、苦境にあって、そう言い切ることができる経営者
やリーダーであるならば、皆さんはすでに素晴らしい経営者であり、リーダーで
あると思います。

例えば、私が若い頃、深い共感を覚えた一つのエピソードがあります。

それは、大相撲の世界の話ですが、昔、ある大関が絶好調のとき、膝の故障で長期
休場を余儀なくされたのです。

それは、誰が見ても「不運な出来事」でした。しかし、この大関、その後、復帰して
きて、再び素晴らしい活躍をしました。

この大関が引退した後、親方になってから受けた、あるインタビューで、「長期休
場を余儀なくされた、あの挫折は、大変辛い体験ではなかったですか」と聞かれ、
なんと答えたか。

この親方、こう言われたのです。

「あれは、天が与えた故障だったのです。あの頃の私は、絶好調の自分に慢心して
いました。だから私は、あのとき、あの挫折を体験しなければならなかったのです。
そして、あの挫折によって、私は大切なことを学ばせて頂きました」

見事な「解釈力」です。

もし、この親方が、浅薄(せんぱく)な人生観しか持たなかったならば、「あの
とき、あの故障がなければ、さらに何勝も挙げることが出来て、優勝もできたの
ですが・・・」と答えるでしょう。

しかし、もし、この大関が、そういう了見であれば、復帰後に、あれほどの活躍を
することはできなかったでしょう。

我々の人生における、苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失、病気や事故は、
いずれ、「大いなる何か」が、我々を育てるために与えるものです。

その意味で、この大関のエピソードは、深い感銘を受けます。

もう一つ、さらに深い感銘を受けるエピソードがあります。あるとき、ある男性が、
アメリカに出張中に酷い交通事故に遭ったのです。

車を運転中、一瞬の不注意から大事故を起こしてしまい、病院に担ぎ込まれた
のです。そして、意識不明の重体から目が覚めると、左足切断という現実を目の
当たりにしました。

この男性、一瞬の不注意で人生を棒に振ってしまったと思い、悲嘆のどん底にい
ました。しかし、日本からその病院に駆けつけた奥さん、病室に入るなり旦那
さんを抱き締め、何と言ったか。

「あなた、良かったわね! 命は助かった! 右足は残ったじゃない!」

この奥さん、見事です。この人生の「解釈力」。この極限の場面で、起こった
出来事を、どう解釈するか。

「ああ、一瞬の不注意で左足を失い、人生を棒に振ってしまった!」と思うのか、
「命は助かった! 右足は残った! 有り難い!」と思うのか。この「解釈力」
の差は、人生を、大きく分けます。

皆さん、人間の「真の強さ」とは、一体、何でしょうか。それは、究極、この
「解釈力」ではないでしょうか。

何が起こったか。それが人生を分けるのではない。

起こったことを、どう解釈するか。それが人生を分ける。

それが、人生の真実ではないでしょうか。

皆さんも、ご自身の人生を振り返るならば、これまでに色々な逆境を体験されて
きたと思います。では、そのとき、その逆境を、どのような「解釈力」で乗り越
えてきたか、振り返ってみて頂きたい。

そして、これからも、皆さんの志が高ければ高いほど、様々な苦労や困難、失敗
や敗北、そして、挫折に直面されるでしょう。

そのとき、この「解釈力」という言葉を思い出して頂きたい。そして、「人生で
起こること、すべて、深い意味がある」ということを、思い起こして頂きたい。
それが、「第二の覚悟」です。


2.人生における問題、すべて、自分に原因がある

しかし、この「解釈力」を正しく発揮するためには、もう一つ、心に定めるべき
大切な覚悟があります。

それは、「人生における問題、すべて、自分に原因がある」という覚悟、「第三
の覚悟」です。この覚悟を定めることができるかどうかが、大きな分かれ道です。

では、なぜ、この覚悟が大切か。実は、「解釈力」と言っても、目の前に与えら
れた逆境の「意味」は、いかようにも解釈できるのです。

例えば、仕事において、あるトラブルが生じたとします。そのとき、「これは、
当社の組織に問題があるということを教えてくれている」と解釈する。それも
解釈です。

また、「この出来事は、あの上司に問題があるということを教えてくれている」
と解釈する。これも解釈です。

しかし、こうした「自分以外に責任を問う」「自分以外に責任を押し付ける」と
いう「他責」の解釈をしている限り、人間として成長できないのです。そして、
道も拓けない。運気を引き寄せることもないのです。

逆に、そうした「他責」の姿勢ではなく、「起こること、すべて自分に原因が
ある」という「自責」の解釈をすると、人間的に成長できるだけでなく、なぜか、
運気も引き寄せるのです。

例えば、元サッカー日本代表監督の岡田武史さん。この方が横浜F・マリノスの
監督だったとき、審判の明らかな誤審で試合を失ったことがあります。

テレビのリプレイを見ても、明らかに審判の誤りだった。しかし、判定は覆ら
ない。その試合の後、インタビュアーに「審判の誤審で負けましたね」と聞かれ
た。インタビュアーは、岡田監督から愚痴の一つも聞こうとした場面でした。

ところが、そこで岡田監督は、感情的になることもなく、堂々と、こう言いま
した。

「ええ、審判も人間ですから誤審をすることはあるでしょう。でも、我々は、それ
も含めて勝たなければならないんです」。

岡田監督は、堂々とそう言った。

日本には、昔から、「運も実力のうち」という言葉がありますが、「それも含め
て勝たなければならない」と、敗北を自分の責任として受け止める姿勢、それが、
岡田武史というリーダーに、いつも強運をもたらしているのでしょう。

そもそも、我々が問題に直面し、「自分の責任ではない。誰かの責任だ」と思う
ときは、多くの場合、我々の心の中で「小さなエゴ」が動いています。そして、
その「小さなエゴ」が動いているときは、必ず、「解釈」を誤ります。

例えば、感情的になっているとき、誰かを非難する思いが強いとき、自己弁護
の思いが強いとき、こういうときは、必ず「解釈」が歪みます。「解釈」が濁り
ます。そして、そのとき、「大いなる何か」が、我々に手を差し伸べることは
ないのです。

そうであるならば、皆さん、ご自身の心の中にある「小さなエゴ」の動きは見え
ているでしょうか。

「小さなエゴ」は、誰の心の中にもあります。私の心の中にもあります。そして、
この「小さなエゴ」は、消そうとしても、消えるものではありません。

捨てようとしても、捨てられるものではありません。それは、生涯つき合っていく
べきものです。

よく、「我欲を捨てる」という言葉や、「私心を去る」といった言葉を簡単に
言われる方がいますが、実は、人間の心は、それほど簡単ではないのです。

心の中の「小さなエゴ」は、「捨てた」と思っても、それは、単なる錯覚か、
思い込みであり、実は、心の奥深くに隠れているだけなのです。それゆえ、何か
の拍子に、容易に、また表に現れてくるのです。

だから、自分の心の中の「小さなエゴ」とは、生涯つき合う覚悟を定めた方が
良い。むしろ、捨てたつもりになっていることが、危ない。

「自分は我欲を捨てた」と思っても、ただ、そう思い込んでいるだけであり、
心の中で抑圧した「小さなエゴ」は、別のところで必ず鎌首をもたげるのです。
それが人間の心の姿です。

だからこそ、宗教的に深い境涯にまで行かれた人物、例えば、親鸞のような
人物は、その境涯に至ってなお、あの言葉を残すわけです。

「心は蛇蝎(だかつ)のごとくなり」。自分の心は、ヘビやサソリのごとくだ、
と。たしかに、誰であろうとも、自分の心を深く見つめると、そこには、「小さ
なエゴ」の蠢(うごめ)きがある。

衝動がある。思わず怒りに駆られる瞬間も、人を妬む(ねたむ)瞬間も、
恨む(うらむ)瞬間もある。それが、人間の自然な姿ではないでしょうか。

そして、こうした指摘は、決して親鸞だけではない。昔から、真の宗教家は、
この「小さなエゴ」の問題を鋭く指摘しています。「小さなエゴ」を捨てた
つもりになって幻想に入るべきではない。それ自身が、「小さなエゴ」の擬態
であると。

では、どのようにして、その「小さなエゴ」に処すればよいのか。それを捨て
たつもりになって抑圧しても、一度、心の表面から隠れるだけで、また、すぐ
に鎌首をもたげてくる。その「小さなエゴ」に、どう処すればよいのか。

実は、そのための方法は、ただ一つです。

「心の中のエゴを、ただ静かに見つめること。否定も肯定もせず、ただ静かに
見つめること」。

それが唯一の方法です。

例えば、自分の中に怒りが湧き上がってきたとき、「ああ、自分は、今、目の前
のこの人物に強い怒りを感じている・・・」と、静かに自分の心を見つめることです。

例えば、自分の中で嫉妬の心が動くとき、「ああ、自分はやはり生身の人間だ。
今、嫉妬の心が動いている」と見つめることです。

こうした修行を続けていると、いつか、「自分を静かに見つめる、もう一人の
自分」が、心の中に生まれてきます。

そして、「成熟」という言葉の本当の意味は、心の中に、この「もう一人の
自分」が生まれてくることなのです。

それゆえ、精神の成熟した人物は、例えば、数分前のことでも、「先ほどは申し
訳ない。私も少し感情的になりました・・・」といったことを謙虚に言えます。

自分の心の中の「小さなエゴ」の動きを、一度、冷静になって見つめ、そうした
ことを言えるというのは、「成熟した精神」の証でしょう。

一方、人間として未熟な人物には、周りから、なかなか厳しい言葉が語られます。

「あの人は、自分が見えていない」。すなわち、自分の心の中の「小さなエゴ」
の蠢(うごめ)きや衝動が、今、自分にどのような感情をもたらしているかが、
見えていないのです。

しかし、自分の心の中に、「小さなエゴ」の蠢きや衝動を静かに見つめる「もう
一人の自分」が生まれてくると、自然に、先ほど述べた「人生における問題、
すべて、自分に原因がある」という覚悟が掴めるようになってきます。

そして、その覚悟を掴むと、人生というのは、ずいぶん目の前が開けていきます。

ただ、こうした話は、「頭」で理解するのは簡単です。「知識」として理解する
のは簡単です。

優秀な人であれば、話を聴き終わった後に、「3番目の覚悟は」と聞かれて、
「○○です」と答えることは簡単です。

しかし、この覚悟を、体験を通じた「智恵」として掴むことは、決して容易で
はない。その覚悟を、本当に腹に刻むこと、心に刻むことは、容易ではない。

それを掴むには、「行ずる」しかない。日々の仕事や生活の中で、実践するしか
ない。だから、「修行」をすることが大切なのです。

そして、修行というものは、3日や3ヶ月で終わるものではありません。どれほ
ど短くても、3年、修行を続けることです。行じ続けることです。そのとき、
ようやく見えてくる世界があるのです。

しかし、今の世の中には、「いかに手っ取り早く」「いかに苦労せず」「いかに
楽をして」という発想がはびこっています。

書店に行けば、そのような本ばかりが溢れている。だから、我々は「堪え性(こら
えしょう)」がなくなる。本当に大切なことは、簡単には身につかない。

しかし、3年、腹を据えて修行をすれば、素晴らしい何かが掴めるにも関わらず、
それができない。油断をすれば、我々は、そうした「堪え性」のない人間になって
しまうのです。

だから、皆さんには、一つの覚悟を定めて頂きたい。「3年でも、5年でも、修行
をしよう。いや、修行とは本来、生涯をかけ、命尽きるまで続けていくべきものだ」
という、その覚悟を定めて頂きたいのです。

もし、この場に集まられた1400名の方々が、その覚悟を定められたならば、
我々の想像を超えた素晴らしいことが起こります。

今日の講演で皆さんにお伝えしたいことは、「逆境を越え、人生を拓く5つの覚悟」
についてです。

では、私はどこで、この「5つの覚悟」を学んだのか。もとより、あの禅寺で、
何か一つひとつ教えて頂いたわけではありません。

あの禅寺で禅師より教えられた、「今を生き切れ!」という一言だけを携えて東京
に戻り、仕事の世界に戻ってみると、色々なものがすべて深い学びだったのです。

例えば、ある上司がいました。その方はクリスチャンであり、非常に深い宗教的な
情操を持っている物静かな上司でしたが、その上司が、あるとき、私を食事に誘っ
てくれたのです。

静かなレストランで食事をして、最後にコーヒーを飲んでいるとき、その上司が、
自身に語りかけるように、呟いたのです。

「仕事をしていると、毎日、色々なトラブルがあるのだね。そうしたトラブルが
起こるたびに、この会社の組織に問題がある、あの上司に問題がある、あの部下に
問題があると思うんだね・・・。

しかし、家に帰って一人静かに考えていると、いつも同じ結論に辿り着く。『あ
あ、自分に原因があった』。いつも、その結論に辿り着くのだね」

私は、その話を聞いたとき、最初、「なんと謙虚な人なのだろう」と思ったので
すが、その会食の帰り道、ふと気がつきました。

「ああ、あの上司は、自分のことを語る姿を通じて、私に、大切なことを教えて
くれていたんだ」と気がついたのです。

当時の私は、あるプロジェクトのリーダーとして、毎日起こる様々なトラブルを
前に、心の中で苛立ちを抑えきれなかったのでしょう。そのため、口に出さず
とも、どこか周りを非難するような雰囲気が表れていたのでしょう。

その私の姿を見て、この上司は、静かに自身を語る言葉を通じて、大切なことを
教えてくれたのです。そのお陰で、私もその日から、「すべてのことは、究極、
自分に原因がある」と思い定める修行を始めました。

しかし、これは決して「自分が悪い」という意味で申し上げているのではありま
せん。これは臨床心理学の世界で語られる「引き受け」という心の姿勢の大切さ
を申し上げているのです。

以前、臨床心理学の河合隼雄先生と対談をさせて頂いたことがありますが、カウ
ンセリングでは、クライアントの方が立ち直って成長していくとき、必ず、この
「引き受け」という心の姿勢に転換されるということを述べられていました。

すなわち、クライアントの方が癒されていくときには、必ず、心の中で、この
「引き受け」が起こっているのです。

例えば、「長年、親父のことを鬼だと思っていたのですが、実は、私は親父にず
いぶん助けてもらっていたのですね・・・」などと語り、自分で問題の原因を引き
受けるようになるのです。

逆に、人生で与えられた問題について、誰かを非難したり、攻撃している限り、
実はその方が救われないのです。

そして、これは、臨床心理学やカウンセリングだけの問題ではありません。我々
の人生には色々なことがありますが、最初は、誰もが、自分以外に原因を見つけ、
批判したり、非難をする傾向があります。

しかし、それでは問題が解決せず、壁に突き当たり、悩み、最後に、「いや、こ
れは自分が引き受けるべき問題だ。自分が成長することによって、この問題を乗り
越えていこう」と思った瞬間、不思議なほど、目の前の風景が変わり、なぜか物事
が好転し始めるのです。

なぜ、こうした不思議なことが起こるのか、科学的には証明できません。

しかし、私自身、問題に直面したとき、こうした「引き受け」の心の姿勢に転換
した瞬間に、色々な物事が不思議なほど好転し始めることを、これまで何度も体験
してきました。

そして、こうした体験は、私だけではありません。

私は、しばしば中小企業の経営者の方々に講演をさせて頂くことがありますが、
こうした「引き受け」と「問題好転」の話をすると、経営者の方々は、皆さん
頷かれます。

自分の心が「引き受け」の姿勢に変わった瞬間に、なぜか、もうどうしようもな
いと思っていた目の前の問題が好転し始めたり、出口の無い状況が変わり始めた
りする。

そういう人生の不思議を、皆さん、体験されているのですね。

実際、今、この会場にも頷(うなず)かれている方が何人もいらっしゃいます。

皆さんの中にも、こうしたことを体験された方いらっしゃるのでしょう。

そして、この「引き受け」ができるという心の強さが、実は、「魂の強さ」と
呼ぶべきものなのです。

例えば、あるプロジェクトのリーダーである田中さん。そのプロジェクトメンバー
の一人である鈴木さんが犯したミスによって大きなトラブルに直面した。

上司は、鈴木さんに非があると分かったうえで、「田中さん、今回のトラブルの
原因は、鈴木さんかな?」と聞く。

すると、「いや、鈴木さんに対する私の指導が甘かったのです。私の責任です。
申し訳ありません」と言う。そういう「引き受け」をするタイプのリーダーが
います。

もちろん、別のタイプのリーダーもいます。「そうなんです。前から鈴木さんは、
仕事のやり方が甘いんです。だから、こうしたトラブルが起こったのです」と
言うタイプです。

こう言いたくなるリーダーの気持ちは分かるのですが、やはり、一人のプロフェ
ッショナルとして、そして、一人の人間として成長していくのは、明らかに前者
のタイプです。

なぜなら、前者のタイプのリーダーは、「魂が強い」からです。こういうリーダー
は、見事なほど、成長していきます。

かけがえの無い自分の命を、何に使うのか――田坂広志氏が語るリーダーの覚悟


3.大いなる何かが、自分を育てようとしている

では、その「魂の強さ」は、どうすれば身につくのか。もとより、そこに、簡単
な方法はありません。

やはり、3年、5年、あるいは10年の修行が必要ですが、その修行のために
必要な覚悟を申し上げれば、「大いなる何かが、自分を育てようとしている」と
いう覚悟、その「第四の覚悟」を定めることです。

人生において、一度、この覚悟を定めると強いですね。なぜなら、この覚悟の
根本にあるのは「逆境観」だからです。

人生において与えられる苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失、ときに病気や
事故。そうした「逆境」というものをどう捉えるかという「逆境観」。それを、
どう定めるかによって、人間の強さが全く違ってくるのです。

ただ、もともと日本人は、「逆境」というものを否定的に捉えません。戦国武将、
山中鹿之介の有名な言葉があります。「我に七難八苦を与えよ」という言葉です。

正直に申し上げて、私は若い頃、この言葉には、あまり共感できませんでした。
しかし、67年も人生を生きてくると、この言葉の深い意味が本当によく分か
ります。

世の中には、「艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉(たま)にす(*2)」と
いう言葉もありますが、この言葉の根本にある思想は、「逆境とは、人間を成長
させるために、天が与えたものである」という思想です。


*2.人は多くの苦しみや困難を経てはじめてりっぱな人間となる意のことわざ。

「可愛い子には旅をさせよ」や「若い頃の苦労は買ってでもせよ」という言葉も、
やはり、「逆境」や「苦労」というものを否定的に捉えず、人間の成長にとって
必要なものであるとの思想を語っています。

このように、もともと日本人は、素晴らしい「逆境観」を持っているのです。

従って、我々が、本当に人間として成長し、成熟していこうと思うならば、やは
り、「苦労や困難」「七難八苦」「艱難辛苦」といったものを体験する必要があ
るのです。

逆に言えば、ある程度の年齢になって、それまで、あまり苦労をしてこなかった
人は、顔を見ただけで分かってしまう。

本人は気がついていないのですが、ある年齢になるまでに、するべき苦労をして
こなかった甘さが、顔に表れてしまうのです。そして、どこか人間としての軽さ
が、伝わってしまうのです。

だから、皆さんも、臆することなく、人生で与えられる苦労や困難、失敗や敗北
などの逆境に正対し、3年、5年、10年の修行をされることを願います。

ただ、先ほど申し上げたように、最近の日本には、「いかに手っ取り早く」「いか
に苦労せず」「いかに楽をして」といった思想が溢れています。

それが、近年の我が国で、重量感のあるリーダーが育ってこない理由かと思います。

されば、皆さんには、人生で与えられる逆境を糧として逞(たくま)しく成長し、
いずれ、重量感のある堂々たるリーダーへの道を歩んで頂きたい。

そのためには、これからの人生において、壁に突き当たったとき、逆境に直面し
たとき、必ず、思い起こして頂きたい。


4.その逆境は、大いなる何かが、皆さんを育てようとして与えたものです

そうであるならば、今、目の前にある逆境は、天が皆さんに与えた「最高の成長
の機会」なのです。

従って、皆さんには、「第四の覚悟」を定めて頂きたい。「大いなる何かが、
自分を育てようとしている」という覚悟です。

その覚悟を定めた瞬間に、皆さんの目の前の風景が、全く違って見えてきます。
目の前の逆境の意味が、全く違って見えてきます。

そのとき、皆さんは、人間としての「最高の強さ」を身につけている自分に気が
つくでしょう。

逆境を越える叡智は、すべて、与えられる

そして、この「大いなる何かが、自分を育てようとしている」という覚悟を定め
ることができたならば、最後に定めるべきは、「第五の覚悟」、すなわち、
「逆境を越える叡智は、すべて、与えられる」という覚悟です。

なぜ、この覚悟の大切さを申し上げるのか。私自身、このことを何度も体験させ
て頂いているからです。

あの禅寺で、何かを掴み、戻ってきた後も、病気の症状は10年を越えて続きま
した。また、この病気以外にも、色々な逆境を与えられました。その中には、
別な形での「生死の境」という逆境もありました。

しかし、それらの逆境を前にしても、ここまで申し上げた四つの覚悟を定め、
静かな心境で目の前の逆境を見つめていると、不思議なほど、その逆境にどう
処すべきか、直観的な叡智が降りてくるのです。心の奥深くから沸き上がって
くると言ってもいい。

それは、まさに不思議なほどです。逆境を前に、「そうだ、この方向に進んで
みよう」「ああ、この道がある」といった形で、何かの叡智が降りてくる。湧き
上がってくる。

それは、決して「具体的な解決策」といった安易な意味のものではありません。
もっと深い意味で、「なぜか、あの人に会ってみようという気がした」「なぜか、
この場所を訪れてみようと思った」といったものです。

しかし、そうして、その人に会ってみたり、その場所に行ってみると、そこに、
その逆境を越えていくための、何かの深い示唆があったりするのです。

いま申し上げたのは、何かの不思議な「直観」が働くということですが、もう一つ、
不思議な「予感」が与えられることもあります。

今日は時間も限られているので、詳しく申し上げられないのですが、私は、
35年前に大病を与えられ、「今を生き切る」という生き方を身につけてから、
なぜか、不思議なほどに「未来の記憶」とでも呼ぶべきものを感じるように
なりました。

なぜか、あるとき、ふっと感じたことが、後に、「ああ、あのとき感じた予感は、
このことだったのか」と思う経験が増えました。未来にやってくる何かを予感す
ることが増えたのです。

この不思議な「直観」や「予感」。おそらく、この会場にも、そうした体験を
持つ方が何人もいらっしゃるのではないでしょうか。この話を聴かれて、いま、
会場では何人も頷かれていますので。

もとより、人間の「心の世界」というものは、いまだ解き明かされていません。
どれほど科学技術が発達しようと、どれほど人工知能革命が進もうと、人間の
「心の世界」の不思議さを解き明かすことはできないでしょう。

例えば、分析心理学の創始者、カール・グスタフ・ユングが語った「集合的無
意識」というものの存在は、誰も証明できないのです。

しかし、仏教の世界では昔から、「阿頼耶識」という言葉で、その存在が語られ
てきました。そして、人間の心は深い所でつながっていると考えざるを得ない現象を、古来、多くの人々が経験しています。

例えば、ふとした瞬間に誰かの視線を感じ、その方向を見ると、実際、誰かが
自分を見つめている。そうした経験は、誰もが持っているでしょう。

また、例えば、あるとき、ある人物のことが心に浮かんでくる。その瞬間、
不思議なことに、その人物本人から電話がかかってくる。そうした経験を持つ
人も、少なくないでしょう。

こうした不思議な世界について語るのは、決して、怪しげな神秘主義を主張した
いわけではありません。

ただ、私のような科学者としての教育を受け、唯物論的な思想を身につけて歩ん
できた人間でも、その人生において、決して否定できない、不思議な体験が与え
られるということを申し上げたいのです。

ただし、そうした体験の多くは、ここまで申し上げた、「今を生き切る」「今日
という一日を精一杯に生きる」という修行を続けていると、自然に与えられよう
になったのです。

それは、私という人間が特殊なのではなく、皆さんも、「今を生き切る」という
生き方を、日々行ずるならば、必ず、様々な形で「直観」や「予感」が湧き上が
るようになります。

また、逆境に直面したときも、その逆境を越える叡智が、不思議な形で与えら
れるようになります。

しかし、今日の講演は、そうした話をすることが主題ではありません。また、
そうした話をする時間もありません。

もし、皆さんが、こうしたことに興味を持たれるならば、この講演の演題と
同じタイトルの近著、『すべては導かれている』において、詳しく書きまし
たので、そちらを参考にしてください。

この著書では、直観、予感、シンクロニシティ(共時性)、コンステレーショ
ン(布置)、そして運気について語り、なぜ、そうした形で、叡智が与えられ
るのか、なぜ、我々の人生では、そうした現象が起こるのかについても述べて
います。

5.自分の命を何に使うか

もう一度申し上げますが、こうした不思議な体験を持つのは、決して私だけで
はありません。

例えば、ある新聞に『私の履歴書』という連載があります。これは、政治家や
経営者、学者や文化人、芸術家やスポーツ選手など、色々な分野で素晴らしい
業績を残した「人生の成功者」と呼ばれる方々が、その人生を振り返って語る
短い自伝です。

ところが、ある研究者が、この数々の自伝を分析したのです。そして、「人生の
成功者と呼ばれる人物は、その人生を振り返ったとき、どのような言葉を最もよく
使うのか」という研究をしたのです。

当初の予想は、人生の成功者は、その人生を振り返るとき、誰もが、「頑張って」
「根性で」「諦めず」「粘り強く」といった言葉を最も多く使うのではと思われ
たのですが、その分析結果は予想とは全く違ったものでした。

実際に最も頻繁に使われていた言葉は、「ふとしたことから」「たまたま」「折よく」
「偶然」「運の良いことに」などの言葉でした。

この研究結果を見ると、見事な人生を歩まれた方々、素晴らしい仕事を残された
方々は、どなたも「運が強い」と思われるかもしれません。

しかしそれは、単に「持って生まれた星」といった話ではありません。

これらの方々の「運の強さ」と見えるものは、何気ない出来事の中に、人生を拓く
鍵を鋭く感じ取る「直観」や「予感」の能力が引き寄せるものでしょう。

そして、それは、言葉を換えれば、「大いなる何か」からの声を聴く能力によっ
て支えられているのでしょう。

さて、もう時間も尽きました。最後にもう一度だけ申し上げたい。

もし、皆さんが、これからの人生において逆境に直面されたときには、思い出し
てください。

「大いなる何か」が、皆さんを育てようとして、その逆境を与えている。その
「大いなる何か」は、逆境を通じて皆さんを素晴らしい人物へと成長させようと
している。

そして、その素晴らしい人物を通じて、世の中に素晴らしい仕事を残そうとして
いるのです。

そのことを信じ、「大いなる何か」に導かれた人生を、精一杯に生きようという
覚悟、その覚悟を、昔から先人は、「使命感」と呼んできたのでしょう。

そうであるならば、これから皆さんには、その「使命感」を抱いて歩んで頂きたい。
そして、この「使命」という言葉は、素晴らしい言葉。なぜなら、「使命」という
言葉は、「命」を「使」うと読めるからです。

されば、皆さん、そのかけがえの無い命、何に使われますか。その覚悟を定め、
歩んで頂きたい。

皆さん、いずれ、我々の人生は、一瞬。100年生きても、人生は一瞬。誰もが、
その一瞬の人生を駆け抜けていく。

私も気がつけば、瞬く間に67年の人生を駆け抜けてきました。そして、あと何年
生かして頂くかは、すべて天の声。

されば、この一瞬の人生、精一杯に生き切りたいものです。

人生には、「三つの真実」があります。「人は必ず死ぬ」「人生は一回しかない」、
そして、「人はいつ死ぬか分からない」。その三つです。

そうであるならば、必ず終わりがやってくるその命、一回しかないその命、いつ
終わりがやってくるか分からないその命、皆さん、何に使われますか。

その覚悟こそが、「使命感」。

その「使命感」を大切に歩まれることを。そして、「大いなる何か」に導かれた、
素晴らしい人生を歩まれることを。


【田坂 広志】
多摩大学大学院教授 田坂塾・塾長 世界賢人会議Club of Budapest日本代表

東京大学卒業、同大学院修了。工学博士(原子力工学)。
2000年、多摩大学大学院教授に就任。社会起業家論を開講。同年、21世紀の知の
パラダイム転換をめざすグローバル・シンクタンク、ソフィアバンクを設立。
代表に就任。2013年、全国から4800名の経営者が集う場、「田坂塾」を開塾。

今回も長い文章となりましたが、最後までお読みくださり、ありがとうござい
ます。

中編になります。

著書 「すべては導かれている」田坂広志 小学館 1300円

私は、人生の指南書として、何回も何回も読んでいますし、なにかつまずいた
場合は、必ずこの著書を読み、心を立て直しております。

本当に素晴らしい著書です。みなさんも購入され、人生の指南書としてお役立て
ください。
人生を拓く「真の逆境力」を身につける――田坂広志氏が語るリーダーの覚悟 田坂 広志

多摩大学大学院教授 田坂塾・塾長 世界賢人会議Club of Budapest日本代表

この冊子は、前編、中編、後編の三つに分かれています。そのなかの前編になります。

それでは、内容にはいります。


1.人生を拓くために必要な逆境力とは

「人生を拓く」。これは誰にとっても極めて大切なことですが、では、人生を拓くために
必要なことは何か。もとより、ビジネス理論や戦略論、ものの考え方やロジカルシンキン
グも大切です。

また、キャリアプランやキャリア戦略も大切でしょう。しかし、実は「人生を拓く」と
いう一点で考えるならば、最も大切なものはただ一つだと、私は思っています。

それは、「逆境力」です。

逆境というものを越えていく力です。なぜなら、皆さんがどれほど優秀な方であっても、
必ず逆境に直面されるからです。

苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失、ときに病気や事故。人生においては、そうした
逆境に、必ず皆さんも直面することになるでしょう。

そのとき、皆さんはどのようにして、その逆境を越えていかれるのか。

しかし、この「逆境力」とは、単なる根性とか、忍耐力とか、執念といったものではあり
ません。それだけでは、決して人生は、拓けない。実は人生には、最強の「逆境力」と
いうものがあるのです。

今日は、その話をさせて頂きたいと思います。それが今日のテーマです。

では、最強の「逆境力」とは何か。それは、この一つの覚悟を定めることです。「すべて
は導かれている」。

そう腹を定めた瞬間、目の前の風景が大きく変わります。そして、不思議なほど、心の奥底
から力が湧き上がり、目の前の逆境を越えていくための叡智が与えられます。

では、なぜ、この覚悟を定めなければならないのか。

それは、目の前の逆境に「正対」するためです。そもそも、なぜ我々は、逆境を越える
ことができないのか。それは、実は、逆境の厳しさや大きさのためではないのです。

我々が逆境の前で立ち尽くしてしまうのは、その逆境が大きいからでも、自分の力が
無いからでもないのです。

我々が逆境を越えられない理由は、実は、その逆境に「正対」できなくなるからです。
目の前の逆境に正面から向き合うことができなくなるのです。

なぜなら、人間というのは、大きな逆境に直面すると、心が必ずこう動くからです。

「ああ、なぜ、こんなことになってしまったのか」と考え、過去を悔いることに延々と
心のエネルギーを使ってしまうか、「ああ、こんなことになってしまった。これから
どうなってしまうのか」と考え、その不安で心が一杯になってしまう。

未来を憂う(うれう *1)ことに、また延々と心のエネルギーを使ってしまうのです。

*1.思い悩んだり、心配したりすること。特に将来や行く末などのことが気掛かり
である場合などに使われる。

しかし、もし我々が、目の前の逆境に心を定めて正対することができれば、必ず、道は
拓けます。力も湧き上がってくる。叡智も降りてくる。

それにもかかわらず、その正対ができないのです。そのことを私は、私自身の逆境の体験
を通じて学ばせて頂きました。今日はその話から始めてみたいと思います。


2.志を持って生きるとは、今を生き切ること

ちょうど35年前の1983年の夏、私は医者から非常に深刻な病を告げられました。

医者の診断は、「もうあなたの命は長くない」というものでした。では、医者から匙を
投げられ、死を目前にした人間は、どのような心境になるか。

地獄です。本当に日々が地獄でした。自分の体がどんどん崩れていくような感覚。そし
て、死が迫ってくる不安と恐怖。

そうした日々は、「悪夢」という言葉すら生やさしく聞こえるのです。なぜなら、もし、
それが「悪夢」であるならば、その夢から覚めれば、その苦しみも消える。

しかし、逆なのです。寝ている最中だけ「死の恐怖」を忘れられる。しかし、夜中に目が
覚めると、刻々と命を失っていく自分が現実なのです。

はっと目が覚めると、その現実が目の前にある。夜中に、何度もため息をつきながら、
どん底のなかで日々を過ごしていました。

しかし、医者も見放し、頼るものも無い、救いも無い状況の中で、天は見放さなかった
のでしょう。

私の両親が、ある寺を紹介してくれたのです。

それは禅寺なのですが、そこは難病や大病を抱えた方が行き、その多くが立ち直って戻っ
てくる寺だというのです。両親は、そこに行くことを勧めました。

しかし、私は、科学的な教育を受け、工学博士という肩書も持つ人間ですので、唯物論を
信じる人間でした。

だから最初は、「そんな怪しげな場所など・・・」と撥ねつけていたのです。「医者が見放
したものが、助かるはずがない。

寺に行ったぐらいで、治るはずはない」と。そう思っていたのです。

しかし、やはり人間です。体の状態がどんどん悪くなると、最後は「藁にもすがる」と
いう思いになりました。

それで、「もう騙されたと思って行ってみよう」という思いでその禅寺を訪れました。

だから、心細い思いで山の中にあったその寺に着いたとき、そこに、何か不思議な治療
法でもあるのではないかと期待していました。

しかし、その期待は、全く裏切られました。行ったその日から、鍬(すき)や鋤(くわ)
を渡されて献労をさせられたのです。農作業です。

医者も見放した体の悪い人間に、農作業。最初は、「こんな労働をさせられるなら、入院
していたほうが良いのでは・・・」と思ったほどです。

ただ、そうは言っても周りの人々は農作業をされる。そこで、私も仕方なく一緒に作業
をしていました。「こんなことをして何が治るんだ・・・」と思いながら。

いまでも、一枚の写真があります。その寺を訪れた初日、森の中を切り拓いた畑で撮っ
た写真です。

その写真の中には、一人の若者が立っています。休憩時間、鍬(すき)を杖のようにして
幽霊のように立っている若者。当時の私です。

ところが、人生というものは、やはり、「大いなる何か」に導かれている。その初日か
ら、大切なことを教えられたのです。

その畑で嫌々ながら農作業をしていると、横から大きな声が聞こえてきた。それは、
「どんどん良くなる! どんどん良くなる!」という声でした。

思わず横を見ると、ある男性が必死に鍬を振り下ろしている。しかし、見た瞬間に分か
りました。足が大きく膨れていて、「腎臓がやられている」ということが。

それで、休憩時間に、「どうなさったんですか」と聞くと、「いや、見ての通り腎臓を
やられているんですわ。それで、何年も、病院に出たり入ったりして、もう医者は治して
くれんのです。

ただ、このままじゃ家族がダメになる。もう、自分で治すしかないんですわ!」と言わ
れた。

その瞬間、その方の言葉が、天の声のように聞こえたのです。「ああ、そうだ。自分で
治すしかないんだ!」と。その瞬間、私は、大切な何かを掴み始めたのです。

そして、それから3日後ぐらいでしたか、その日の午前中は、山の中腹にある畑に行っ
て皆で農作業をする日でした。

私は作業で使う農具の当番で、一人ひとりに鍬や鋤を渡していくと、他の方々は、次々
と坂を登っていき、農作業に向かっていきました。

全員に農具を渡し、後片付けをして、私もずいぶん遅れて・・・、もう30分以上経った
でしょうか、「さあ、自分も作業に加わろう・・・」と、鍬を肩に坂道を登っていったら、
最初の曲がり角に差し掛かった瞬間、ハッとする光景を見ました。

それは、思わず目を疑う光景でした。

そこを歩いていたのは高齢の女性でした。足が悪いことは、見てすぐに分かりました。
足を引きずるようにして、鍬を杖のようにして一歩一歩、坂道を登っていました。その
悪い足を治したいということで、その寺にやってきたのでしょう。

しかし、その歩みでは、懸命に坂道を登っていっても、畑に辿り着くのは午前中の作業が
終わってしまう頃です。それは明らかでした。

しかし、その方の後姿から、強い思いが伝わってきました。

「畑に辿り着けるかどうかはどちらでもいい。私は、この体で力を振り絞って、自分の
力で登っていく!」。

その必死の思いが伝わってきたのです。農作業に間に合うかどうかは関係ない。目の
前の現実に正対し、全力を尽くして登っていくという、その静かな気迫が伝わってきま
した。

その強い思いと静かな気迫を感じたとき、まだ、迷いの中にあった私も、大切なことを
気づかせて頂きました。

私は心の中で手を合わせ、「有り難うございます。大切なことを教えて頂きました」と
拝みながら、その方の横を通り過ぎ、登って行きました。

いまも、そのときのことを思い出します。35年前の夏です。そして、こうした体験は、
すべて、天が私に与えたものだと思っています。

そして9日目、ようやくその寺の禅師に接見できる時がやってきました。

「ああ、禅師に話を聞いて頂きたい」と思い続けた日々の9日目です。夜、その禅寺の
長い廊下を渡って、禅師と一対一の対座になりました。

禅師の前に座ると、聞かれました。「どうなさった」。

その瞬間、堰を切ったように、語りました。自分が死に至る病に罹ったこと。医者から
診断を受け、治る見込みがないことを告げられたこと。

誰も救ってくれないどん底の中でこの寺へやってきたこと。そうしたことを、切々と
語りました。

そして、禅師の言葉を待つ一瞬。さぞや、深く勇気づけられる言葉が聞けるのではない
かと思い、固唾を飲んで言葉を待ちました。しかし、禅師が言われた言葉は、一瞬、
耳を疑うものでした。

「ああ、そうか。医者が見放したか。そうか。もう、命は長くないか・・・」「はい・・・」

すると、何と言われたか。

「そうか、命は長くないか。だがな、一つだけ言っておく。人間、死ぬまで、命はある
んだよ!」

一瞬、何を言われたのかと思いました。当たり前のことを言われたような気がしたか
らです。しかし、禅師は、その後、もう一つ大切なことを言われ、それで接見は終わ
りました。

長い廊下を歩いて戻りながら、「いま、何を言われたんだ・・・」と考えました。しかし、
それは、どん底にいる人間の強さだったのでしょう。そこで、突如、気がついたのです。

「そうだ、人間、死ぬまで命はある! その通りだ!」と。

けれども、自分はもう死んでいた。心が死んでいた。振り返れば、その日まで何ヶ月、
心は、いつも、二つの思いで占められていた。

「ああ、どうしてこんな病気になってしまったのか。もっと、健康に気を遣っていれ
ば良かった。なぜ、こんな病気になってしまったのか。自分は、何と運が悪いのか・・・」。

そんな風に、過去を悔いることに、延々と時間を使い、心のエネルギーを使っていま
した。

そうでなければ、「ああ、この病気で、どうなってしまうのか。どこかに助けてくれ
る医者はいないのか。いや、それは無理か。これから、どうなってしまうのか・・・」と。

そんな風に、未来を憂(うれ)うことに、延々と時間を使い、心のエネルギーを使っ
ていました。

そのことに気がついたとき、先ほど、禅師が続けて言われた言葉が、心に甦(よみがえ)
り、腹に響いてきたのです。

禅師は、何と言われたか。

「過去はない。未来もない。あるのは、永遠に続く、今だけだ。今を生きろ!今を生き
切れ!」。

禅師の語ったその言葉が、心の奥底から甦ってきたのです。

そして、そのとき、「そうだ! その通りだ!」と、何かを掴(つか)んだのです。
禅師の「今を生き切れ!」という言葉が心に鳴り響く中で、私は、大切な何かを掴ませ
て頂いたのです。

そして、その瞬間、私は病を「超えた」のです。

もちろん、その一瞬で病が治ったわけではありません。病気の症状そのものは、それから
10年、続きました。しかし、その瞬間に、私は、病を「超えた」のです。なぜなら、
そのとき、私は、こう腹を括ったからです。

「ああ、明日(あす)死のうが、明後日(あさって)死のうが、構わん! ただ、この
病に対する恐怖のために、今日というかけがえの無い一日を無駄にすることは、絶対に
しない!

この病に対する後悔のために、今日というかけがえの無い一日を無駄にすることは、
絶対にしない! 

たとえ明日、人生が終わりになるとしても、今日という一日は、絶対に悔いの無い生き
方をしよう! 

今日という一日を、大切に大切に、精一杯生きよう!」

そう、腹を括ったのです。そう、覚悟を定めたのです。そして、35年前のその日から、
私は、その生き方を続けてきました。

その結果、いま、皆さんの目の前にいるように、35年、生かして頂いたのです。
本当に有り難いことです。

しかし、天の配剤とは不思議です。「今を生き切る」という覚悟で生きてきた結果は、
ただ35年、命を長らえさせて頂いただけではなかった。

それ以上に、不思議なことが起こったのです。日々、「今を生き切る」という生き方を
続けていると、自分の中から、何かの可能性が花開き始めたのです。

例えば「直観力」。物事に対する直観的判断が鋭くなったのです。また、例えば「運気」。

なぜか、人生において運気を引き寄せるようになったのです。それがなぜなのか、私に
は科学的に説明できません。ただ、現実の問題として、不思議なほどの直観力や運気が
与えられたのです。

それは決して、私という人間が何か特殊な能力や才能を持った人間だったからではあり
ません。

この会場にいらっしゃる皆さん、どなたも、これから申し上げる「五つの覚悟」を定め
て修行をされれば、人生において、不思議なほどの何かが与えられます。

もし皆さんが、病があるかないかに関係なく、「今日という一日しかない。

今日という、かけがえの無い一日を、精一杯、生き切ろう」という生き方をされたら、
必ず、皆さんの中から、眠っていた可能性が大きく開花していきます。

では、そうした生き方をするために大切なものは、何か。

「志」です。

世の中のために、多くの人々の幸せのために、自分の人生を通じて、何か良きことを
成し遂げたいという「志」。

その「志」を深く心に抱いて生きるとき、我々の人智を越えたことが起こります。

では、「志を抱いて生きる」とは何か。

それは、単に「未来に実現する理想を心に抱いて生きる」ことではありません。

「志を抱いて生きる」ことの本当の意味は、「今日という一日を、精一杯、全力を尽く
して生き切る」という意味です。

もし、皆さんが、その生き方をされるならば、不思議なことが起こります。

なぜか、必要なタイミングで、素晴らしい人と巡り会う。なぜか、必要なときに、素晴
らしい仲間が集まってくれる。なぜか、見事なタイミングで、有り難い縁が生まれる。
そうしたことが起こります。

それが、我々の人生の真実です。

自分の人生は大いなる何かに導かれていることを知る

3.自分の人生は、大いなる何かに導かれている

いよいよ本題に入りましょう。いかなる逆境も越え、人生を拓いていく。そのために
最も大切なことは、「今を生き切る」ことです。

そして、その生き方をするためには、何よりも、「深い志や使命感」を抱くことです。

では、その志や使命感を抱くとき、大切なものは何か。それは、「すべては導かれて
いる」という覚悟を定めることです。

私自身、先ほどお話しした禅寺から戻ってくるとき、真っ青な空を見上げながらこう
思いました。

「ああ、自分には、大切な使命がある」。心底、そう思ったのです。もうその時は、
自分の病気がどうなるかなど、まったく考えることはなかった。

不思議ですね。あれほど、病気の不安と恐怖に押しつぶされそうになっていたのに。
その時は、夏の青空を見上げ、「ああ、自分には成し遂げるべき使命がある。

その使命に気づかせて頂くために、この寺に招かれたのだ。

大いなる何かに導かれ、この寺に招かれたのだ」と思ったのです。

そして、その時から、「すべては導かれている」という覚悟を定め、与えられた一日を
精一杯に生きるという修行、「今を生き切る」という修行に入らせて頂いたのです。

では、どうすれば、「すべては導かれている」という根本覚悟を定めることができる
のか。

その根本覚悟にいたる道を、「五つの覚悟」を一つ一つ定めていく技法として、皆さん
にお伝えしたいと思います。

まず、第一は、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という覚悟を定める
ことです。皆さんが、もし、その覚悟を定められるならば、それだけで、何かが変わり
始めます。

しかし、こう申し上げると、すぐに一つの疑問を持たれる方がいるでしょう。「田坂さ
ん、おっしゃる意味は分かるけれども、その『大いなる何か』など、本当に存在するの
でしょうか」と。

実は、そうした「大いなる何か」が存在するか否かは、誰も証明できないのです。
人類何千年の歴史の中で、誰もそのことを証明した人はいない。

その「大いなる何か」を、人は、ときに神と呼び、ときに仏と呼び、ときに天と呼ぶの
かもしれない。しかし、それが存在するかどうかは、誰も証明できないのです。

ただ、良い機会だから申し上げます。例えば、「信念を持て」ということは、よく言わ
れます。「自信を持て」ということも、よく言われます。

この「信」という言葉の本当の意味を、皆さんはお分かりでしょうか。

この「信」という言葉の意味。誰かが証明してくれるから信ずるというのは「信」とは
呼ばないのです。

誰も証明することはできないが、自分は、無条件にそれを信ずる。このことを「信」
と呼ぶのです。

誰かが証明できるものは「信」とは呼ばない。ニュートンの法則を、「信」とは呼びま
せん。それは単なる科学的な「常識」であり、「知識」です。

すなわち、「信」とは、無条件に信ずること。では、どうしてそれを信ずるのか。

それを信ずることで、良き人生を生きることができると思うからです。「信」という言葉
は、本来、そのように使うべき言葉だと、私は思っています。

誰かが証明しているからではなく、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」と
信じて生きることによって、素晴らしい人生を拓くことができると思っているからです。

しかし実は、こうした「信」は、優れた先人の多くが、その人生において抱いて歩んだ
ものでもあります。

それは、政治家、経営者、文化人、芸術家、スポーツ選手、いかなる分野であっても、
「ああ、見事な人生を歩まれたな」と思える方は、例外なくと言って良いほど、「自分
の人生は、大いなる何かに導かれている」という「信」をお持ちです。

だから、その方々は、逆境においても挫(くじ)けることなく歩み、自身の中に眠る
素晴らしい可能性を開花させ、「大いなる何か」の声に耳を傾けて歩んでこられたのだと
思います。

私は、これまで、多くの経営者の方々とのご縁を得てきましたが、優れた経営者は、どな
たも、その「信」をお持ちでした。

例えば、私が若いころ薫陶を受けた素晴らしい経営者の中に、「Banker of the Year」
という世界的な賞を受賞された、大手都市銀行の元頭取の方がいらっしゃいます。

この方は戦時中、水兵として乗艦していた巡洋艦が撃沈され、海に投げ出された後、
九死に一生を得て生還されたという経験の持ち主でした。この方も、ある時、ご自身の
人生を振り返り、呟(つぶや)かれていました。

「人は生かされて生きてるからね」と。

昔から、名経営者と呼ばれる方は、どなたも、こうした深い宗教的な情操をお持ちでした。

それは、「自分は、大いなる何かに生かされて生きている」「自分の人生は、大いなる
何かに導かれている」という「信」と呼ぶべきものでした。

そして、この「大いなる何かに導かれている」という覚悟は、経営者やリーダーとして
歩むために、極めて大切なものです。

なぜなら、人を導くリーダーの立場にある人間は、自分自身を導く何かを信じることが
なければ、心の中に、無意識の傲慢(ごうまん)さが生まれてしまうからです。

皆さんは、どなたも、リーダーの世界を歩んでこられた方々であり、また、これから
歩まれる方々だと思います。

そうであるならば、いずれ、皆さんは、誰もご自身を導いてくれない時代を迎えます。

だからこそ、そのとき、心の中に、「自分は、大いなる何かに導かれて生きている。
その導きの声に、虚心に耳を傾けて歩もう」という、人間として最も謙虚な心を持って
頂きたいのです。

分野を問わず、優れた仕事を成し遂げた方々は、どなたも、そういう「謙虚さ」と「信」
を持って歩まれた方々です。

例えば、版画家の棟方志功(むなかたしこう)。彼が残したあの言葉も、素晴らしい言葉
です。

「我が業は、我が為すにあらず」。すなわち、「自分の残したこの仕事は、自分が成し
遂げた仕事ではない。大いなる何かが成し遂げた仕事だ」と、堂々と言われる。素晴ら
しい生き方ですね。

いつか、世の中の人々から、「あなたは素晴らしい仕事を成し遂げましたね」と聞かれ
たならば、「大いなる何かに導かれ、この仕事を残すことができました」と答えて頂き
たい。

「幸い、世の中の多くの人々に光を届ける仕事を成し遂げさせて頂きました。しかし
それは、私が成し遂げた仕事ではありません。私という人間を通じて、大いなる何かが
成し遂げた仕事です」。

いつの日か、もし皆さんが、そう語られるならば、それは、一人の人間が人生を振り
返ったとき語り得る、最高の言葉ではないでしょうか。

そして、こうした「我々の人生は、大いなる何かに導かれている」という「信」を抱いて
いたのは、優れた仕事を成し遂げた方々ばかりではありません。

何千年もの人類の歴史を振り返るならば、多くの人々が、神という言葉、仏という言葉、
天という言葉を使って、「大いなる何か」の存在を信じ続けていました。

特に我々日本人は、日常の中で当たり前のように、「天命」という言葉や、「天の配剤」、
「天の声」、「天の導き」といった言葉を使います。

すなわち、我々日本人は、誰もが、「我々の人生は、大いなる何かに導かれている」と
いう感覚を抱いており、ある意味で、世界で最も深い宗教的情操を日常的な言葉で語って
いる国民なのです。

我々日本人は、当たり前のように、「有り難いご縁を頂きました」という言葉を使い
ます。

また、「一期一会」という言葉も使います。このように、日本人は誰もが、素晴らしい
宗教的情操を持っています。だからこそ、改めて、一つの覚悟を定めて頂きたいのです。

「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という覚悟を定めて頂きたいのです。

いや、皆さんは、ご自身の人生を振り返るならば、すでに、「自分の人生は、大いなる
何かに導かれている」という感覚をお持ちではないですか。

「あの時、あの人と巡り会ったから、道が拓けた」「あの時、あの出来事があったから、
自分の進むべき道が分かった」。

そういう体験を持たれている方は決して少なくないでしょう。そうであるなら、もうすで
に皆さんは、「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚を抱かれている
のではないでしょうか。

されば、その「感覚」を、「覚悟」にまで深めることです。

そのことを申し上げると、「第一の覚悟」は、もう十分に理解されたかと思います。


【田坂 広志】

多摩大学大学院教授 田坂塾・塾長 世界賢人会議Club of Budapest日本代表

東京大学卒業、同大学院修了。工学博士(原子力工学)。
2000年、多摩大学大学院教授に就任。社会起業家論を開講。同年、21世紀の知のパラダイ
ム転換をめざすグローバル・シンクタンク、ソフィアバンクを設立。代表に就任。

2013年、全国から4800名の経営者が集う場、「田坂塾」を開塾。

私の気功療法には、お医者さんにさじを投げられた方や余命宣告を受けた方が来られま
すが、田坂先生の動画や著書を、皆さんに見ていただくようにしています。

本当に素晴らしい先生です。感銘を受けました。

最後まで、お読みくださり、ありがとうございます。