健身練(けんしんれん)の活動を通じて得た健康情報をご紹介します。 http://www.eonet.ne.jp/~yorokobi/
小林正観さんの「そ・わ・か」の法則より

朝起きて、ベットから下りる前に、「ありがとう、ありがとう、
ありがとう」と百回言ったとします。

そうすると、脳は突然不安定になる。なぜ、現象がないのに、
「ありがとう」なんだろうと。

このように、先に「ありがとう」を百回言うと、脳は、ありがとう
の合理的な理由を探しはじめるらしいのです。

カーテンを開けた瞬間に太陽の光がパーッと差し込んだら、「あー、
うれしい。ありがとう」と叫ぶ。

これで一回。さらに、白いご飯に湯気が立っていると、「あー、
ご飯がおいしそうだ。ありがとう。早く起きて、ご飯を作って
くれて、ありがとう」と叫ぶ。

これで二回。

脳は、合理的な理由・説明がないと不安定になって、その現象を
探しつづけます。

現象がないのに、先に「ありがとう」を百回言ってしまうと、
脳は「ありがとう」の現象を一生懸命探そうとする。

そうすると、その日の朝から、目にするものに対して、「ありが
とう探し」が始まるのです。

それで、起きて「ありがとう」を百回言って、一時間たって百個
「ありがとう」を見つけて、またそこで「ありがとう」を百回
言うと、脳はまた不安定になって、百個の現象を探しはじめる。

「ありがとう」を言った人は、一日中ずっと「ありがとう探し」を
して、脳が「ありがとう」に満ちあふれながら一日を終えること
になるのです。

同じように朝起きたときに、「あー、幸せ」と理由もなく言って
しまいましょう。「あー、幸せ」と二十回言った瞬間に、「あー、
幸せ」に相当する現象を二十個探そうとするので、「これも幸せ」、
「あれも幸せ」ということになる。

それで、「あー、幸せ」と言ってしまった結果として、幸せ探し
を始めることになります。

結局のところ、私たちが、目の前の現象をどう思うか、どう感じる
かであって、「幸せ」という名の現象が宇宙に存在するわけでは
ありません。

だから、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが一個。
目が見えることを幸せだと思った人は、幸せが二個、手に入る。

耳が聞こえて幸せ、口で物が食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて
幸せ・・・・というふうに考えていったら、いくらでも幸せが手に
入ります。

脳は、先に出してしまった言葉に対して、不条理・不合理を認め
なくて、合理的な事実をそれに当てはめて解釈しようとする、
非常に変わった性格をもっている。

先に「幸せ」「ありがとう」と言ってしまうと、その瞬間から
突然に脳は「幸せ」を探しはじめ、ありがとう探しをはじめる
ようにできているらしいのです。

もし、起きたときに、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまら
ない」「嫌だ」と二十回言ったとする。

そうすると、いきなり脳が、その合理的な理由を探しはじめます。

「ありがとう」という言葉は、ものすごく力をもっているので、
なるべく多く言ったほうがいい。

そのときに別に心がこもってなくてもいいらしい。

「ありがとう」を言いつづけて臨界点を超えると心から感謝の念が
わき上がってくるようになるのです。

複雑骨折した人が病院のベッドで、「ありがとう、ありがとう」と
言いつづけたら、全治三か月と言われていたのが、一か月で
治ってしまった話。

それから、脊髄(せきずい)を損傷して三か月は絶対安静で、もし
かすると脊髄が切れてしまって、半身不随になってしまうかも
しれないと言われた人が、上を向いて「ありがとう、ありがとう」
と言っていたら、治ってしまったという話。

そういう話をその方が聞いて、とにかく心をこめなくても「あり
がとう」を言うといいらしいと感じて、「ありがとう」を言い
出した。

そして、食べるときと人と話すとき以外は、ずっと言いつづけていた。

三日目にまた数千回言っていたら、突然にそういうふうに涙が
どっと出た。そして、本当に心の底から「ありがとう」と思うよう
になったそうです。

ここまでが、本の内容になりますが、かくりん健身練では、ありがと
うの50万回、100万回の法則を言ってきました。

言葉には、エネルギーがあり、とくに”ありがとう”には最高のエネ
ルギーが宿っていて、繰り返すことにより、マーフィーの法則でいう
潜在意識にすり込まれるのです。

一日を、ありがとうにはじまり、ありがとうで終わってはいかがで
しょうか。

ありがとうの波動と感謝してますの波動は最高です。

たくさんの奇跡を、あたり前に呼び寄せてくれます。

皆さんも、ぜひ、やってみてください。


<ありがとうの語源>
 「有り難し」から来ている。有り難しというのは、存在しにくい
 こと、有り得ないことを、そう呼んだそうです。

 つまり、神・仏が何か「あり得ないこと」を起こしてくれた場合
 に使った言葉でした。

 神・仏をほめたたえ、賞賛(しょうさん)する言葉として、
 「ありがとう」、「有り難し」、「有り難い」という言葉が存在
 したのだそうです。

 人に使われるようになったのが、室町時代以降のことだそうです
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