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健身練(けんしんれん)の活動を通じて得た健康情報をご紹介します。 http://www.eonet.ne.jp/~yorokobi/
気功療法に来られている方から、1冊の本をお借りました。
かなり、スピリチュアルな内容となりますが、一人ひとりが
守られていると思うと、生き方が楽になります。

中川昌蔵(なかがわ しょうぞう)さんの名を知らない人で
も、大阪・日本橋の「中川無線電機」の名はよくご存知かも
しれません。(現在は、中川無線電機はありませんので)

私も、オーディオが趣味で日本橋の中川無線電機に行った
ことがあります。電器街・日本橋の最初の店、それが「中川
無線電機」で、電器街・日本橋の草分けということになります。

それでは、ここからが本の内容になりますが、中川昌蔵さんと
小林正観さんの対話の中から、中川昌蔵さんところを、私の方
で編集して載せております。このため、文章の語尾が対談のよ
うなところもありますが、あらかじめご了承ください。

中川昌蔵さんは、中川無線電機の創業者であり、社長でした。

昭和20年代には、同じく大阪でもあり、電器業界でもあり、
「松下電器」創業者の松下幸之助さんともよく会って話しを
したそうです。

「メーカー」という立場と「販売」という立場の違いはあり
ましたが、「とにかく商売熱心な人でしたね」と、中川さんは
懐(なつ)かしそうな表情でした。

そういう“実業家”の世界で、あるところまで到達した人が、
「臨死体験(りんしたいけん)」を境(さかい)に、その職を
辞め、「何のために人は生きるのか」、「何のために企業が
あるのか」を説き始めたのですから、おもしろいと言えば
おもしろいし、不思議と言えば不思議です。


【中川昌蔵さんの不思議な病気】
中川昌蔵さんは、大正3年4月生まれ。63歳のときより
「精神世界」や「霊世界」の講演を始め、20年以上たち
ます。

合計2万人を超える人に、話しをしてきたことになるでしょ
うか。

大阪・日本橋の「中川無線電機」の創業者であり、初代社長
である中川昌蔵さんが、こういう講演活始めたのは、病気が
きっかけでした。

仕事一筋にやってきた中川さんが、急展開して「見えない世界」
に本気で踏み込むことになったのは、ある病気がきっかけ
でした。

中川さんは、60歳までは、もっぱら会社の経営ノウハウを
追求しており、左脳(さのう)ばかり使っていました。ただ、
意識しないうちに右脳(うのう)も働いていたとは思いますが。

60歳のときに病気になりました。大学病院に入院しましたが、
不思議なことにその病名も原因も、今もってわからないまま
なのです。

まず、発熱が1週間ほど続きました。午後5時ごろから熱が
出始めて、8~9時に40度くらいまで上がり、朝明るくなる
ころ、やっと平熱に戻るという症状です。

それが止まると、次は1週間血便が続いたあと、しまいには
血液だけしか出ないようになりました。あらゆう検査をし、
開腹手術も二度受けましたが、原因はわからないままでした。

入院から半年ほどして、腸から大出血します。その出血が
小腸からか、大腸からか十二指腸からか、それさえも不明。
その過程で8700ccの輸血をしたそうです。

8700ccというのは、普通の男子の二人分に相当する量の
血液です。そして、手術の何日後か、ベッドでもうろうと
しているとき、私は「ご臨終です」という医者の声を聞いた
のです。

目は開いている(と思う)のですが、まるで真っ黒のカーテン
が下がっているようで何も見えません。声は聞こえ、香りも
よくわかるのですが、見ようとしても見ることができないの
です。その瞬間に、意識がなくなったようでした。

次に聞こえたのは、がやがやした話し声で、「葬儀場をどう
しようか」という言葉でした。

「ご臨終」のはずなのに、まだ死んでいないのです。理論的に
言えば、脳は死んでいますから、この声は、脳ではなく魂
(たましい)が聞いたものだったのでしょう。

それからどれくらいの時間がたったかわかりませんが、次に
私が聞いたのは、四次元世界の声でした。2~3人いるよう
なのですが、そのうちの一人が「この者の命は終わった」と
言いました。

するとまた別の声が、「ちょっと待って欲しい。この者には
まだ使命が残っているから、今死なすわけにはいかない」と
言い、それから何かがやがやと、互いに意見を言い合っている
ような声が聞こえました。

これも私の魂が聞いた声なのだと思います。最近わかったこと
ですが、死というものは神が管理しており、死を宣告する霊と
いうか、神がいるようです。

ですから、本当の死というのは三次元的に決まるのではなく、
四次元的に決まるということです。全て神のお決めになること
ですから、私たちはお任せしていればよいのです。

「この者の命は終わった」。

「荘厳(そうごん)な重々しい感じ」ではなく、事務的な
「書類を受け付けているときの役場の職員のような感じ」で、
自信に満ちていました。

例えて言えば、プロ野球のアンパイヤのようで、確信を持っ
て宣告しているのです。

のちに私の守護霊に聞いてわかったのですが、「この者の
使命は終わった」と言ったのは、死を管理し、それを決めて
宣告する担当の神であり、「この者にはまだ使命が残って
いるから死なすわけにはいかない」と言ったのは、私の
守護霊だったということです。

その、「まだ使命が残っている」という声を聞いて、私は
「ああ、そうだ。すっかり忘れとった!」と思いました。
肉体も脳細胞も死んでいますから、私の魂がそう思ったので
しょう。

魂というのは、もともと目的を持って輪廻転生しているはず
なのに、私はそれまでの60年間、仕事ばかりでその目的を
すっかり忘れていたのです。

「死」を目の前にしてやっと使命を思いだし、目覚めました。
周りから見れば、奇跡的に生き返ったように見えたことで
しょう。

「臨終」になってから息を吹き返すまでのことは、普通の人
に話してもわからないことでしょうから、誰にも言わずその
ままにしました。

不思議なことに、目覚めてからは病気の症状が全くなくなって
しまったのです。病院でもその原因がわからず、いつ再発しな
いとも限らないと言うのです。
その入院の際に書いたのが一冊目の本です。参考書もなく、
使ったのは字引だけでした。「大自然の法則と経営理念」と
いう本です。

仏教の重要なポイントの一つは、全ての食べ物は大自然の
恵(めぐ)みによって生み出されており、そのことに感謝
して働きなさいというものです。

キリストは、すべてものは無限の愛(大自然の恵み=究極の愛)
の中で育(はぐく)まれており、その愛というものを人間関係
の中に持ち込みました。自分以外のものを自分と同じように
愛しなさいという教えです。

仏教は自然と人間との関わりについて説き、キリスト教は
人間の中で愛というものは何かを説きました。

それを守護霊が私に教えたのかどうかは定かではありませんが、
自然界にはそういう法則があることがわかったのです。

その本に書いた「究極の愛」とか、「自然の調和」とか「共生
(きょうせい)」というものが宇宙の原点であり、人間はその
中で生かされている一つの歯車にすぎないということを私は
皆に広めなければならなかったのです。

「そうだ、こんなことはしていられない。商売に熱中して
忘れていたが、自分は使命を持って生まれてきたのに、まだ
何もしていなかった」と気づいたというのです。

「こんなことをしている場合じゃない」と思ったとき、体は
ブルブル震え、はね起きたといいます。

危篤状態(きとくじょうたい)を脱し、翌日には出血も止まり、
体も元に戻りました。病院側は「原因もわからず、その治療も
していないのに、不思議だ」と、当分入院を続けさせましたが、
元気になった中川さんは、結局3ヵ月後に退院します。

その3ヵ月間に中川さんが考えたのは、「自分の使命は何か」
「その使命をどう果たすか」ということでした。

3ヵ月の間、中川さんは考え続けました。そして、考え続けて
得られた結論は、「商売は金儲けだけで終わってはならない」と
いうものだったそうです。それを、一人でも多くの経営者に
伝えること、それこそが中川さんが「使命」と感じたものでした。

ただし、中川さんは、守護霊から三つの点を注意されたといいます。

まず、条件として「会社を辞めること」、それから「組織を作ら
ないこと」、さらに三つ目は、「この仕事でお金儲けをしないこと」
でした。

しかし、会社を辞めて収入もなく、お金儲けもいけないのでは、
いったいどうやって食べていくのか、生活するのか、中川さんは
守護霊に聞いたそうです。

すると守護霊は、「心配はいらない」と言いました。中川さん
はそれを信じて生きることにしました。

一度死んだところを(“神のような超常的な力によって”)
助けられた、あるいは「使命のために復活した」ことがはっき
り自覚できた人は、それからの人生を違うものにすることが
多いのですが、中川さんもその一人でした。

それにしても、なかなか“踏み切れる”ものではないでしょう。
中川さんは、たまたま“踏み切れる”人でした。そして、実際
にそのようにやってきたのですが、不思議なことに、この20年
ほどは、最初にあったお金が全然減っていないのだそうです。

中川さんは、講演のための交通費や宿泊費で、年間1500
万円から2000万円ほどを使ってきました。しかし、講演の
中には交通費や講演料がなしという場合もあったそうです。

にもかかわらず、中川さんの場合は、講演料無料のときでも
本やテープが売れるなどして、自然にお金が入ってきたといい
ます。

「やはり守護霊は嘘をつかない」というのが中川さんの結論
になりました。心配したり要求したりしなくても、どこからか
勝手に入ってくるので、それに任せているのだとか。

入院当時、店舗は48、社員は450人ほどの規模でした。

守護霊からは「会社を辞めること」が条件でしたが、いきなり
会社を投げ出すことはできません。

3年をかけて会社の基礎を強化、大阪証券取引所の二部に
上場を果たすと、社長を退きました。1977年、中川さん
63歳のときです。

二番目の条件「組織を作らない」というのは、守護霊からの
説明はなかったそうですが、中川さんは中川さんなりに、
こんなふうに解釈をしました。

組織を作ると、どうしても組織第一になって、組織のために
動くことになる。それでは会社を辞めた意味がない。「組織の
ために動いていたら、私の霊能力などは全くなくなっていたで
しょう」と中川さん。

霊能力を働かせる第一の条件は、「無欲になる」ということ
らしいのです。お金もいらない、物もいらない、おいしい食べ
物や、きれいな服もなくていい・・・。

<守護霊さん>
中川さんが、守護霊さんと一生を過ごしてきたなかで、「生まれ
たときから死ぬまで、その人に専属でついている守護霊は一人だ
そうです」。

傲慢(ごうまん)が一番いけないらしく、守護霊がいて、
お世話になっていることを確信し、疑わないことです。そして、
「守護霊さん、ありがとう」とか、朝「おはようございます」と
毎日一回言えばいいのです。

つまり守護霊の存在を認めるということです。あとは「ああして
ほしい」「こうしてほしい」など言わなくても、守護霊はあなた
の心を読み取ってやってくれますから、任せておけばよいのです。

3~5ヵ月では無理ですが、それを10年も続ければ、夫婦のよう
に意思が伝わるようになり、あなたが何かを思ったときに守護霊が
すぐに見て「これはやった方がいい」とか「やめた方がいい」と
教えてくれます。

あとは守護霊に任せておけばよいのです。簡単明瞭で、技術も
何もいりません。

「任せておく」ということは、目の前に起きる現象について、
あれこれ論評せず受け入れて、「不平不満」「愚痴」「泣きごと」
「悪口」「文句」を3ヵ月から6ヵ月言わなければ、頼まれごと
が始まって「使命」「役割」が見えてくる、とお話しさせていた
だいています。

好き嫌いを言わずに、「任せて生きる」という生きかたがとても
楽なのです。どんな人に出会うのか、どんなできごとが起きるのか、
何も考えずひたすら楽しみに待っていて、起きたことに驚嘆し、
喜ぶ、というものですが。

常に朗(ほが)らかで、明るく、クヨクヨせず、リラックスして
いることが大切です。守護霊さんがうまく働いてくれるので、任せ
ておけばよいのです。

守護霊との対話 ―中川昌蔵の世界- 小林正観より

気功療法に、子供の時に生き返った経験のある方が来られていま
した。葬儀の準備中に生き返ったそうですが、私たちは、生きて
いるというより、生かされているというのが正しいのかもしれま
せん。

信じることができる方は、ぜひ守護霊さんと対話をしてみてください。
生き方が楽になるかと思います。

最後まで、お読みいただき、ありがとうございます。
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