健身練(けんしんれん)の活動を通じて得た健康情報をご紹介します。 http://www.eonet.ne.jp/~yorokobi/
ほとんどの方、そして私も同じです。人はほっておくと、過去の経験を
はじめ、インターネット、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどのマスメディ
アによって、未来のことについて不安や心配、そして恐怖を考えてしま
います。

病気についても同じく、ついつい治ることよりも、悪くなったらどうし
ようと考えているのです。

気功療法でいくら気を送っても、病気や症状が改善されない方がいます。
気よりも、その方の心の状況(不安や恐怖)のほうが強く、潜在意識に
トラウマとして入っているからです。

したがって、日常でも気功療法でも、不安や恐怖などの心の状況と潜在
意識上の自己否定のトラウマを、“なし”にしていく必要があるのです。

まずは、“ありがとう”をはじめ、日常つかう言葉をプラスに変えていた
だいておりますが、気功療法に来られている方からいただきました“人は
生まれなおせる(あまちゆうとさん)”の著書に、“なるほど、すごい”
というところがありましたので、ご紹介いたします。

ぜひ、参考にしてください。なお、私の方で一部編集しておりますが、
あらかじめご了承ください。

1.“脳”天気でいる
会うたびに若くなっているような人もいれば、老け込むのが早く、年齢
よりも年老いて見える人がいます。
この違いは、いったいどこからくるのでしょうか。いつも若々しい人は、
いつも何かしら感動しているということです。

逆に感動がなく、何があっても何を見ても「当たり前」に思い、気に入ら
ないとグチをこぼすような人は、老け込むのが早いようです。

小さなことに感動できる人は、“体験”という宇宙のギフトをあまさず
味わい尽くしているのでしょう。

そういう人こそ、ほんとうに幸せな人だと思います。この幸せな人たちは、
人間が天によって生かされていることを知っています。だから「脳」が
天の気で満たされ、“脳”天気に生きることができるのです。

頭に情報をつめ込み、何でも頭で考えてばかりいる人は、頭に霧や暗雲
(あんうん)が立ち込めます。

いっぽう、“脳”天気な人は、いつも頭が快晴状態だから、生きることが
楽しくなります。気分が爽やかなので、ささいなことが嬉しく、小さな
ことに感動できるのです。

思うに、昔話で語り継がれている一休さんも、かなり“脳”天気な方だっ
たのではないでしょうか。一休さんは亡くなる直前に弟子に遺言を書き、
「ほんとうに困り果ててどうしようもなくなったとき、これを見なさい」
と手渡して臨終したそうです。

その後、弟子が実際に困り果ててどうしようもなくなったとき、このこと
を思い出して遺言を開けると、そこにはこう書かれていたといいます。
「心配するな、なんとかなる」“脳天気になる”です。

2.何とかなると信じていれば、現実は何とでもなる
”脳”天気に生きるとは、手を抜かず、気を抜かず、力は抜いて、真心
込めて日常生活を送ることであり、それ自体が自分にも周囲にも癒しを
与えます。

人間は、何歳になったからどう、ということはありません。いくつになっ
ても、生きるということは同じです。肉体が老(お)いを迎えても、いの
ちが老いることはないのです。

天にまかせる

私たちは、こうしている今も、「この瞬間」を生きています。しかし、
意識はなかなか、「この瞬間」にとどまっていません。

気がつくと、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、想像の世界を飛び
回っています。

不思議なことに、人は「今ここにあるもの」よりも、「今ここにないもの」
を見たり、考えたりするクセがあります。

「今ここにないもの」ばかり追い求め、「今ここにあるもの」は「当たり
前の風景」として見過ごし、ありがたく感じたり、愛(いと)しく思ったり
することがほとんどありません。

また、人が未来という想像の世界に意識を向けるとき、「○○になるといい
なあ」「明日はきっと大丈夫だ」という希望的観測よりも、「○○になったら
どうしよう」「○○になると困るから△△をしなきゃ」という否定的観測を
抱(いだ)くことのほうが多いものです。

私たちは未来に意識を向けると、その途端(とたん)に、不安や心配に
襲(おそ)われます。そして、まだ起こっていないことに備えたくなるの
です。

貯金や保険にしても、楽しみや喜びのためではなく、不安や心配のために
励(はげ)んでいる人のほうがずっと多いでしょう。そして、皮肉なことに
人は備えれば備えるほど、未来に対する不安や心配を深めていくことに
なります。

なぜなら、「認めたものが現れる」、これが宇宙の法則だからです。
「動機」は、とても大事なポイントです。

不安や心配、つまり恐怖から行動するとき、その行動は動機である恐怖を
ますます強めていくことになります。

だから安心して生きたいなら、もっと宇宙を信頼して、自他を信頼して、
いのちを信頼して、その信頼から行動していくことです。

その信頼をもって、自分のほんとうにやりたいことを、自分がやるべきだと
思うことを、ただ精一杯「やる」ことです。

その結果、仮に失敗することになったとしても、その経験は必ずその人の
糧(かて)となり、人生に役立つことになります。

そういう意味では、人生に「失敗」なんてあり得ません。すべての失敗は
「未熟な成功」であり、最終的には、何があっても大丈夫なのです。

また人は、何であれ失うことを恐れるものですが、ほんとうの意味で、
人が何かを失うことは決してありません。

なぜなら、人はもともと何も所有していないからです。私たちは無一文で
生まれてきて、寿命が尽きると、何も持たずに向こう側に旅立ちます。

私たちはみんな当たり前のような顔をして生きていますが、このいのちさえ、
自分で得ようとして得たものではありません。自分で維持しようとして
維持しているものでもありません。

こうしている今、心臓を動かしているのは自分ではないのですから。

すべては一時、貸し与えられているものであり、私たちは「いのち」に
生かされている

ところが、人は何かを所有しているつもり、自分で心臓を動かして生きて
いるつもりになって、本来コントロールできないことまで、コントロール
しようとしています。

そんなふうに土台無理(どだいむり)なことをやろうとしているから、
人生が恐怖と怒りに支配されてしまうのです。

それを認めて、自分にできることだけ精一杯やり、後のことはすべて天に
まかせて生きることです。

取り越し苦労をしない

人は、計画を立てると妙(みょう)に安心してしまうところがあります。
これは逆にいうと、無計画だと不安になる、ということです。

未来のことを思うと不安を感じるから、実際に起こってもいない“何か”
に備えて、準備をはじめたくなるのです。

しかし、「○○になったら困るから、△△しておこう」という態度は、
往々にして、その○○を引き寄せ、現実化してしまうことになるものです。

財布やカギをなくして、散々(さんざん)探したのに見つからず、後に
なって忘れたころにポンと見つかるのが多いのは、なぜだと思いますか?

これは、人が失くしたものを探すときに、「ないない」といいながら
探しているせいです。「ないない」と思うと、すぐそこにあっても見え
なくなってしまう。

ないと思えばない。こうだと思い込んだらそうなる---。

人間の意識には、それだけの力があるのです。だから取り越し苦労をすると、
苦労ばかりが現実化してしまうことになります。

そして、心配や苦労に足をとられて、いつまでたっても行動することに
集中できません。

それに「成功するだろうか?失敗するだろうか?」と考えても、実際は
未来のことなんで、やってみなければ誰にもわかりません。逆にいえば、
やってみれば結果はおのずと明らかになるのです。

成功や失敗という言葉にしても、他人が見た、社会から見た結果に対する
評価でしかありません。しかし、魂が求めているのは、そのような評価
ではなく、自分が行動した結果に対する、自分自身の“手応え”なのです。

あれこれ考えず、集中して、ただ「やる」。全力投球する。

脳天気で、いつもニコニコ暮らす。

皆さん、あれこれと心配するより、脳天気で暮らしましょう。そのほうが
気が楽ですし、運勢も良い結果のほうへと導かれます。

最後まで、お読みいただきありがとうございます。
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