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健身練(けんしんれん)の活動を通じて得た健康情報をご紹介します。 http://www.eonet.ne.jp/~yorokobi/
気2800人を看取った医師が教える人生にとって大切なこととは。
ホスピス医の小澤竹俊先生の著書から、とくに私が感銘を受けたとこ
ろを抜粋して、ご紹介いたします。

私のほうで、一部編集しておりますので、あらかじめご了承ください。

1.なんでもない今日に感謝できる人は本当の幸せを知っている

どんな成功の日々も、平凡な日常に勝らない。ただ生きているだけで、
十分に価値がある。

私たちはふだん、「お金がほしい」「出世したい」「おいしいものが
たべたい」「海外旅行に行きたい」など、さまざまな欲望を抱えて
生きています。

そうした欲望は、もちろん前を向いて力強く生きていくための原動力
になりますが、欲望が満たされないと、心の中に不満や苦しみ、悩み
が生まれることもあります。

ところが、病気になったり、歳をとったりして、身体が思うように
動かせなくなると、欲望のあり方は変わります。

それまで「おいしいものが食べたい」と思っていた人が、「胃ろうで
はなく、もう一度自分の口で食事をしたい」と思い、「海外に行きた
い」と思っていた人が「もう一度、自分の足でトイレに行きたい」と
思うようになる。

つまり、当たり前の日常を望むようになるのです。

地震や火事といった災害に遭遇したとき、何らかの事件に巻き込まれ
たとき、自分あるいは家族が病気や怪我をしたとき、「人生最後の日」
を意識したとき。

人はいやおうなく、非日常の世界に連れていかれ、それまでの日常を
振り返ります。

そしてようやく、自分が多くのものを手にしていたことに気づき、
感謝するようになるのです。

そう考えると、常に「今日が人生最後の日だ」という意識持つことで、
日々の生活を大切にできそうな気がしますが・・・

残念ながら、それは簡単なことではありません。

人が非日常を抱えながら日常を生きることは、ほぼ不可能なのです。

たとえば東日本大震災が発生し、物流がストップしたり計画停電が
頻繁に行われたりしたとき、多くの人が日常のありがたさに気づき、
感謝したはずです。

しかし、あれから数年経った今でも、その思いを持ち続けている人は、
どれくらいいるでしょうか。

また、年老いた親が病気になり、余命いくばくもないと知ったとき、
多くの人は、おそらく必死で介護するはずです。

中には仕事を投げ出して、介護に専念する人もいるかもしれません。

しかし、それが10年も20年も続いたらどうでしょう。
最初のころと同じように、常に全身全霊をこめて、献身的に介護に
あたることができるでしょうか。

非日常というのは、とても過酷で疲れるものです。

だからこそ人は、非日常が長く続くと、自分の心身を守るために、
「非日常を忘れよう」「日常に戻ろう」とします。

「死」というものを意識しながら生活し続けるのが難しいのもその
ためであり、「常に緊張感を持って、毎日を生きる」というのは、
あまり現実的ではありません。

一見平凡な日々を、たんたんと長く積み重ねていく日常。

一時的に何かに集中したり、日常を振り返ったりする機会を与えてくれ
る非日常。

人ができるだけ悔いなく、「よく生きる」ためには、日常と非日常、
両方の大切さを知り、使い分けていく必要があると私は思います。

もし毎日の生活を「つまらない」と感じているなら、時々でかまい
ませんから、「今日が人生最後の日だ」と想像し、非日常の視点から
日常を眺めてみましょう。

食事がとれること、布団でぐっすり眠れること、大事な人といつでも
会えること、電気やガスがつくこと・・・・。

特別なことはなくとも、ふだん当たり前に過ごしている日常が、いか
に輝きに満ちた、かけがえのないものであるかがわかるはずです。


2.やらずに後悔して、この世を去ることが一番辛い

今の自分が絶対ではない。間違ってもいい。しかし、何もしなかった
後悔は癒されない。

「したいこと、やらなければならないことが、たくさんあるのに、
ついつい先送りにしてしまう」という人は、少なくないでしょう。

真面目な人であれば、「今はちょっと忙しいだけ」とわざわざ自分に
言い訳をしたり、何も行動していない自分が許せなくなったり、
「自分はなんてダメな人間なんだ」と自分を否定したりしてしまう
こともあるかもしれません。

しかし、常に緊張感を持って日常を送り続けるのは、とても難しい
ことです。

もちろん中には、日々全力を尽くして一生懸命に生きている人もいま
すが、多くの人がふだん、当たり前のように「明日やればいいや」と
考え、物事を先送りにしてしまうのも仕方がないことなのです。

ただ、死を前にしたとき、すなわち非日常の世界に足を踏み入れた
とき、本当にしたいこと、やらなければならないことが見えてくる
ことがあります。

私は以前、ある男性を看取ったことがあります。初めてご自宅を訪問
したとき、その方の容態が思わしくなく、残された時間が、長くても
一週間程度しかないことが、すぐにわかりました。

男性には、生活を共にする女性がいました。いわゆる「事実婚」の
関係です。お二人は何年も前から結婚を望んでおり、過去に入籍に
向けて動いたこともあったようですが、さまざまな事情から、
実現には至らなかったそうです。

しかし、大切な女性を残して、この世を去る日が目前に迫り、男性は
「どうしてあのとき、ちゃんと手続きをしておかなかったのか」と、
そのことを何よりも悔やんでいました。

そこで、私たち在宅緩和ケアチームは動きました。

戸籍謄本を取寄せなど、正式な手順を踏んでいては、とても間に合いま
せん。それでも「男性の後悔を取り除き、心穏やかに最後のときを迎え
てほしい」という一心で市役所にかけあい、どうにか結婚届を受理して
もらえることになったのです。

さらに、看護師さんやケアマネージャーさんたちがレースのカーテンで
作ったウェディングドレスを持参し、入籍が無事に済んだことの報告と、
ごく簡単な結婚式を行いました。

そのときの男性の穏やか顔、妻となった女性の輝くような笑顔を、私は
一生忘れることはないでしょう。

男性が長い間先送りにしていた入籍を、亡くなる数日前に実現できた
こと、それにより、男性が穏やかな気持で最後のときを迎えることができ
たことは、お二人にとっても、もちらん私たちにとっても、非常に価値の
あることでした。

したいこと、やらなければならないことを全部やる、というのは、なか
なか難しいことです。

人間は欲の塊(かたまり)です。すべての欲を完璧に叶えることはでき
ません。

しかし「今日が人生最後の日だったら」と想像し、もし「やっておかな
ければ、絶対に後悔する」ということがあれば、健康なうちに手をつけ
ておいてもよいかもしれません。

それがおそらく、自分を受け入れ、幸せに生きるためにも、心残りなく、
穏やかな気持で死を迎えるためにも、必要なことだと思われるからです。

一方で、健康なとき、人はなかなか、抱えているものを手放すこと、
他人にゆだねることができません。

ところが、人生の終わりが近づくと、「自分の力でできないことは、手放
そう」「他人にゆだねよう」と思うようになります。

そこで人はようやく、自分を縛っていたこだわりから解放され、本当の幸せ
に気づくことができるのです。

「自分でちゃんとやらなければ」という思いにとらわれ、苦しんでいる
人は、ぜひ一度「今日が人生最後の日だったら」と想像し、手放したり
他人にゆだねたりできることがないか、考えてみてください。

ここまでが本の内容になりますが、自分は不自由だ、少しも思うように
生きられていない、やりたいことができていない、という思いにとらわ
れてしまったときは、一度、立ち止まって考えてみてください。

自分はいったい何に縛られているのか、どのようなやらないことを選択
しているか。

これまで先延ばしにしていたことも考えてみてください。

人には本来、選ぶ自由が与えられているのです。自分自身がいろいろな
ことを選びながら生きているのです。

また、繰り返しになりますが、それまで「おいしいものが食べたい」と
思っていた人が、「胃ろうではなく、もう一度自分の口で食事をしたい」と
思い、「海外に行きたい」と思っていた人が「もう一度、自分の足でトイ
レに行きたい」と思うようになる。

当たり前の日常が、どんなにありがたいことか。ということに気づいて
いただければと思います。

「今日が人生最後の日だとしたら、どう生きたいか」を、みなさん、想像
して(考えて)みてください。

自分にとって大切なもの。それこそが、健康なときも、死を目前に控えた
ときにも、みなさんの人生や心を支えてくれるのです。

           参考:今日が人生最後の日だと思って生きなさい
              (ホスピス医 小澤竹俊先生)
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